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これまでの人生で恥ずかしかったこと・失敗したことを書いてストレス発散だ!

日記の記録

ナポリタン寿司のアイコン

この記事では、ナポリタン寿司がこれまで生きてきた人生の中で恥ずかしかったこと・失敗したこと・辛いことなどネガティブな経験を書きます。

文章として書き出すことで色々ストレス発散になったり、理解が深まったりするのはブログをやっている経験上何となく知っているのでそれ狙いです。

これまでの人生で恥ずかしかったこと・失敗したことを書いてストレス発散だ!

ナポリタン寿司はスーパー繊細さんです。人の目がとにかく気になるタイプです。

2000年生まれなので本記事を書いている2025年で25歳です。それはもう繊細なせいで、自分の感覚としては人より大変な人生を送ってきていると思っています。

自分は自分しか体験できないので他の人がどうかは一生どころか生まれ変わりがあったとしても分からないですけどね。自分の中では大変なほうと思っています。

貧困だとか周りの環境とかではなく自分自身の精神面でね。

そんな自分が体験した「うがぁぁ!!!!!!ライフがぁぁぁ!!!」っていう経験をずらずら書いていきます。僕の人生が続く限りは体験が0になることないので今後も追記していきます。

余談ですが、「繊細さん」という本が一時期話題になりましたが、あんまり読んでいません。

家族がちらっと読んでいたので一部見ると「外に出る時はイヤホンとかマスクして五感(聴覚とかね)のどれかをシャットダウンしよう!」的なことが書かれていて読む価値はないなと判断しました。

目次

本記事を読む前の注意点

多分…というか絶対重たいです。

人によっては不快・嫌悪・イライラ感じるかもしれません。

少しでも「あっ、これ読んだら自分の心すり減りそうだな」って匂い感じたら見るのやめることを強く推奨します。読んで良いことなんか一つもないと思います。

恥ずかしかったこと・失敗したこと・辛いこと

ネガティブな経験ごちゃまぜです。

一人で買い物にいけない。あるいは何時間か準備が必要

恥ずかしいこととかじゃなくて単純に僕の辛いことです。

人の目がとにかく気になるタイプなので、一人で中々買い物にいけません。全くではなく中々…です。

買い物だけなら…いや、買い物もやばいんですが、銀行いってお金おろすだの病院いくだの郵便局にいくだのそういう基本の外出すらままならないです。

これまでの人生で明らかに虫歯だろうな…って時も歯医者に行けませんでした。

2024年(24歳)になってようやく…本当にようやく何週間も前から覚悟を決めて歯医者にいきました。

それからというもの先生や看護師さんからもはげまされてなんとか3か月に1回定期健診に行っています。自分の中で結構すごいことです。

ある時は別口座からお金移動させないといけないのにいけませんでした。

何時間もいこういこうって考えました。実際外にもでました。歩いて数分で人と出会って「あかん。もう無理だ」ってなって引き返しました。

人怖くないです?歩道を沢山の人が歩いていて自分とすれ違うことを想像すると寒気さむけがします。

こういうこというと大抵たいてい…というかこれまでの人生100%の確率で「いや、気にしすぎ(笑)実際誰もお前のこと見てないよ」って言われます。

ちげーよっ!(笑)実際見られているとか気にされているとか関係ねーんだよ!自分がそう思ってしまうのが全てなんだよ!自分がそう思うからダメなんだよ!他者がどうかなんて一ミリも関係ねーわ!です(笑)なんじゃそりゃ。

カラスが黒(もしかしたら例外あるかもだけど)なのは実際自分が見ているので理解できます。

他者がどうかは自分が他者にならない限り分からないこと=自分の人生である限り分からないことなので、自分の中の価値観・思い込みが全てなんですよね。

自分が「見られているかもしれない。気にされているかもしれない。一瞬でも目があったらどうしよう…」と考えてしまうことが自分の全てなので、改善するってなると記憶喪失、技術の進歩で性格変えて自分じゃない自分にする…くらいしか思いつきません。

歯医者の通路間違えた

歯医者さんでいつものように「ナポ寿司さーん」と呼ばれました。

僕は思考しました。

「なんで今日はこっちの通路からじゃなくてそっちから呼びかけてくるんだろ。そっち何もないでしょ?まぁ呼んだのがそっちからなだけで実際はいつもの場所だよね…?だからいつもの通路進みますよ…?」です。

何度か逡巡しゅんじゅんした結果、いつもの通路を進みました。

すぐ「え?あ、あのーナポ寿司さん…?どこいくんです?」とそっちの通路から言われました。

単にこの時はいつもの場所じゃない場所で定期健診しただけでした。

僕が呼ばれて返事したのにあさっての方向にいきなり進みだした…そんな状況です。くっそ恥ずかしかったです。

歯医者の手術台での出来事

僕が通っている歯医者はいつもなら手術台(寝っ転がるやつ)に土足どそくでいっていいんですが、この時はいつもの場所じゃない手術台だったので、一瞬「これ土足でいっていいのか?」と迷いました。やけに綺麗だったんですよね。

そしたら「あ、土足でいいですよ~」って看護師さんに言われました。

看護師さんにまるで「僕今迷っているから察して教えてくれません?」ってアピールしたみたいになったんじゃないかと自分の中で申し訳ない気持ちになりました。

そんなわけなく本当にただの人間同士の日常コミュニティなんでしょうけどね(笑)いちいち敏感びんかんです。

看護師への質問でド忘れした

歯医者の看護師さんに聞きたいことがありました。

勇気を振り絞って「あっ、あの、、、(や、やべっ!呼びかけたのはいいものの緊張で質問内容ド忘れした!ひとまず時間稼ぎに…)しょ、しょーもない質問だと思うんですけど…」と言いました。

そしたら看護師さんがいきなり中腰になって「うんうん、大丈夫大丈夫。なになに?」って真剣な顔で聞いてくれました。

僕がしょーもないって言ったせいで逆に向こうを慎重にさせてしまったというか…。

これも全部僕の思い込みなんですけどね。一人で勝手に無限思考編むげんしこうへんしているのもキモいです。

結局一番聞きたかったことは思い出せず、「歯ブラシと糸ようじどっち先にやったらいいですか?」っていういちおこっちも聞きたかったことを質問しました。

「ぶっちゃけ今綺麗にお掃除できているからどっち先でもいい。しいていうなら歯ブラシが先かな」ということを丁寧に教えていただきました。

買った服を忘れそうになった

実店舗で服を買って会計した後、そのまま服忘れて帰りそうになりました。というか僕一人だと忘れていました。

かっこいいイケイケお兄さんに「え?あ、お客さん忘れてますよ!」って後ろから言われてめっちゃ恥ずかしくなりました。

意味分からないですよね。なんで服買うために行ったのに服忘れてるの?ってね…。

この後その店員さんに笑顔で「大丈夫っすよ!俺もありますよ!」って言われたのが追い打ちで恥ずかしかったです。

あの感じは絶対ないでしょ。「どーせ心の中でぷぷwwって思ってんだろ!」って勝手に思っています。

どうにも焦りや緊張があり会計することに集中してしまい、終わったら「ふぅ…会計終わった!これで解放された!」という安心感がどっときてあとのこと(買った商品など)はどうでもよくなるんですよね…。

発表の時一人だけ紙を見た

あんまり詳しく書くのもあれなのでぼかしぼかし&嘘を混ぜて書きます。

学生時代とある発表会がありました。日常では絶対に会わない/会えない役職が高い方たちに対して、僕含む色々な年代の学生が発表する…というイベントです。

小学生~大学生など様々です。僕はその時高校生でした。

イベントというとちょっとポップな雰囲気に聞こえますが、実際は結構おごそかです。

そんな発表会で僕の出番がきた時頭が真っ白になって、1ヶ月くらい前から毎日練習していた内容全部飛びました。結局ポケットに仕込んでいた喋る内容が書かれた紙を見ながら言いました。

ちらっと見てしまう…とかじゃなくて最初から最後まで全部見ました。最初の2行目くらいで全部飛んだのでほぼ全部読んだ状態です(笑)

リアルタイムでやべー…これやべー…と思いながらももう早く終われ終われ!精神です。

最終的に小学生ですら(ですらって言うのも失礼)全部暗記して発表していて、紙を見てたのは僕だけでした。

発表会で震え声

僕はとにかくあがり症で人前で話すのが苦手です。よく声が震えてしまいます。

大学生の時、何十人(100人以上いたかな)もいる大教室で発表する機会があったんですが、案の定声がガッタガタに震えました。

別にそれはもう分かり切ったことなのでいいです。

恥ずかしかったのがその後休憩時間の時、一緒に講義を受けていた親友から悪意なしで「そういや、お前発表の時泣きそうになってたけど何かあったん?」って言われたことです。

その後ちゃんと「いや、俺めっちゃ緊張するタイプで声震えたんよねw」と言って「あ、なるほど。めっちゃわかるわ~それ」って感じでそれはそれで盛り上がったんですが、最初の何気ない一言質問が結構うってきました。

分かっていたことだけど、そういう風に見られていたということに恥ずかしさを感じるというか…。

ほんとその友達が悪いとかは一切なく、今でも大親友です。

その人にとっては何気ない一言でも言われた側は結構残り続けるってありますよね。

高校の時の大学面接練習

高校生の時、大学の面接練習がありました。

放課後、先生に大学の面接官役になってもらって実際の大学面接を意識しての練習です。

この時、先生から「う~~~ん。どうにもめっちゃ練習して覚えてきました感が強い。機械みたいで感情がない。言っていることはいいけどもっとその場で会話している風をだしたほうがいい。面接は暗記したことを言う場じゃなくて自分をアピールする場だから。それに一言一句暗記した文章を言うだけじゃ、対策していない質問がきた時、一気に自分の実力がでてしまう。げんに〇〇の質問した時、対策してなかったのかえっとぉ…の連続でつまったでしょ。多分緊張しすぎているんだと思う。もっとリラックスして硬くならないようにしたほうがいい。あと目線は相手を直視すると緊張で話せなくなる可能性があるからちょっと下らへんを見たほうがいいとは言ったけど、そこばっかり注視しすぎている。見すぎてて怖い印象を与える可能性がある。まさに今暗記した文章言うのに必死で視線は意識していないってバレバレ。いちいち言ったことを100まで受け取りすぎている。どれもこれもやっぱり緊張しすぎているせいだと思うんだよね。もっとリラックスリラックス…」

って感じで、それはもう長文で指摘していただきました。

まさに僕の性格がぎゅっと詰め込まれている指摘で本当に恥ずかしくなりました。恥ずかしいというかショックというか…。

的外まとはずれの指摘なら「何言ってんだこの先生」で終わるんですが、自分でも心当たりあることしかないので余計にショックです。

僕って多分悪い意味で真面目なんですよね。全てに対して。

それが生きにくさに繋がっています。自分でもどうにかしたいんですけど、もうどうにもできないところまでいってしまっています。

心の奥深くを核心かくしんつかれた時、「まさにそうだ!よし、なおそう!」ってならずに、まず最初にただただショックを受けてしまう自分にもげんなりです。

大学の面接で焦った

大学の面接時に緊張しすぎて失敗しました。

ドアコンコン→どうぞーって言われる→開ける→本来なら「ここで失礼します」とか「よろしくお願いいたします」的なことを言わないといけなかったです。

僕の第一声は「あの、これリュックってどこ置いたらいいですか?(リュックもちながらあたふた)」でした。

散々…それはもう散々練習してきたはずなのに、リュック(荷物)をどうするかは全く頭になかったのでパニックになりました。

結局合格したので失敗じゃないやん…と言われたらそれまでなんですけどね。

大学の面接で「先ほども言ったように」連発

高校の時の大学面接練習で書いたように、あれだけ高校の先生に指摘してもらったのに結局本番までなおることはなかったです。

「自己PRをお願いします」って質問に対して丸々暗記した文章を言って、その後「長所を言ってください」とか「最後に何かアピールしたいことありますか?」って質問もきたんですが、自己PRと内容かぶりまくりました。

暗記できる量にも限界があったので、「さすがに全部くることはないだろう」で自己PRとか長所は結構内容被らせていました。その結果、全部質問されてパニックです。

「やばい。さっき自己PRの中に長所も含めて言ってしまった。でも僕は暗記したことしか言えないからどうにか同じ文章言うしかない。せめてもの悪あがきや!」で文章の途中に何回も「先ほども言ったように…〇〇です」と言いました(笑)

面接中に10回くらい言ったんじゃないかな。

内容被っている質問がきても「お、さっき長所言ってしまったから、今度はこっち言うか」と臨機応変にその場で考えてすらすら言葉を発したかったです。

自分の中での最適解・理想がイメージできているのに、いざ直面したら全く言葉が出ない、このもどかしさ…。

自分の能力の低さにげんなりします。

多分、能力の低さにげんなりしているんじゃなくて、「いや、本番はやっぱり緊張するから…」、「本調子だったら余裕だったのにな…」みたいな自分ほんとはやればできるんですよプライドがあって、その理想値と実際の能力値の差にげんなりしているんだと思います。

実際は「僕ってやればできるんすよ」でその理想値とやらがでてきた試しはないんですけどね。

自分の中では「いや、あれはまだ本調子じゃなかった」と言い訳していますが、実際はそれがもう自分の限界値なんだと思います。

自分の感情としては「これが僕の限界なんだ。それでいいじゃないか。能力低いことがダメなんじゃなくて、それを受け入れずに変なプライドがあることがダメなんだろ」ってちゃんと理解しているつもりなんですが、でもやっぱりこういう機会があったときに毎回ダメージを受けているってことは、やっぱり心の奥底ではまだ頑固がんこなプライドがあるのかなと思います。

バイト面接で年齢間違えた

学生の時スーパーのアルバイトをしていました。その時の面接で店長から「年は…えっと2000年生まれってことは今〇歳?」と履歴書を見ながら言われました。

僕は堂々と真顔で「いえ、□歳です(〇歳より1つ下)」と言いました。それはもうはっきりと。

店長は「あ、そうなんだね。(略)ん?いや、でもやっぱりおかしくない?これがこうだと〇歳だと思うんだけど…」と言ってきたけど、僕は自分の年齢なんか間違えるわけないと確固たる自信があったので結構やりとりしました。

最終的に一昨日誕生日だったこと忘れていただけでした。店長の言う通りの年齢でした。

年齢確認で無駄な時間とらせたことに対する申し訳なさと一昨日誕生日だったことすっかり忘れていた自分に対しての失望で感情ぐちゃぐちゃになりました。

電話なのに話しかけられていると勘違いした

スーパーのバイト時代、レジの清算という作業をしていました。中にあるお金がちゃんとあっているかどうかの確認です。

事務室にある機械を使って確認・書類に記載し、最後に正社員の方を呼んでチェックしてもらう…という流れでした。

その日は正社員さんがいつものように事務室に入ってきて「見た?今日ちょっと売上悪いね~」と言ってきました。僕は「見ました見ました。ですねぇ~」と何気ない会話の一環いっかんで返しました。

その後もちょっと微妙な違和感は感じつつも何度か会話リレーしていました。本当に微妙な違和感だけで会話は成立していたんですよ…。

すると正社員さんが「ちょっと、君うるさい」って言ってきて見事怒られました(笑)

えっ!?と正社員さんをよく見てみると耳にしっかりスマホあてていました。

がっつり最初から最後まで電話でした…。僕は「今日悪いですね~。でも午前の人はそうでもなかったみたいですよ」とか独り言をそこそこ長い時間(リアル4分とか)言っていただけでした。

単に一人勘違いなら良かったんですが、相手からしっかりすごく嫌そうな顔でうるさいって言われたのがショックすぎて…。その後その人とは話せなくなりました。

もちろん「すみません!電話だと思ってなくて…」って謝ったんですが、「いや、別に仕事だからいいよ」とまるで仕事じゃなかったらタダじゃおかねーぞって感じで返されたのがもっと怖かったです。

名指しでクレーム入れられる

スーパーのバイト時代、いつものようにバイト先へ向かいました。

特に違和感は感じなかったんですが、接客している時ちらちら別レジの人(パートのお姉さん)からの露骨ろこつな視線を感じました。嫌な感じではなく「だ、大丈夫かな?」みたいな心配の目線でした。

僕は「何のこっちゃ?」で人がいなくなった時に「なんか今日あったんですか?」と聞いてみると、待ってましたと言わんばかりにお姉さんが「だ、大丈夫だからね!気にしないでいいと思うよ💦ちゃんとやってるの私は知ってるから!」となぐさめてきました。

本当に何が何だか分からず会話していたんですが、さすがのお姉さんも僕がごまかして言っているわけじゃないって気づいて「あれ?知らない?掲示板見てない?」と言ってきました。

そのバイト先には事務所に掲示板(ネットのじゃなくて物理的なボード)があって、そこにお知らせやら何やらが書かれています。

本来はバイト前に軽く見て情報チェックしないといけないんですが、僕はめんどくさいってのと大体書かれていることはレジに関係ない仕入れだったりするので、その時は見ずにバイト開始していました。

気になってあとで見に行くと付箋がふせん貼ってあってがっつりお客さんから名指しで僕へのクレームでした。

こういうクレームがあったのでレジの皆さん頑張りましょうってニュアンスで掲示されていました。

この時のスゥーーーっと血の気が引く感じ今でも忘れられないです。

「〇〇さんは商品をかごに入れるの優しいけど、ナポリタン寿司って方は乱暴で愛想がない感じがする。教育しっかりしてください…」みたいな内容でした。

なんか…本当にもう世界ひっくり返りそうになりました。

いや、確かに僕が客として別のスーパー行った時、愛想悪いなこの人って思う時ありますよ?でもまさか自分が言われるなんて思ってもいませんでした。

僕は愛想よく笑顔で「いらっしゃいませ~」ってやっていたつもりでした。

実際社員さんやパートの人から「JANコード(商品の番号)覚えるのも早いし、接客もちゃんとしているし若い子はええね~」とほめられていました。

会計間違っていた…とかならただただ土下座なんですが、自分の中では問題ない(問題ないと思っていることが問題なのかも…)と思っていた接客態度にまさかクレームがくるなんて…。

名指しってのもダメージが大きかったです。

田舎のスーパーなので9割常連で顔はほぼ知っているんですが、クレームした人はいつも〇〇さんのレジに行く人で僕は1回か2回対応したかどうかでした。

そのたった1回2回が気に食わずにクレーム入れたという状況でした。

ただただ不快にさせてすみませんでしたって思いと、みんなから「大丈夫大丈夫。気にしなさんな」と慰められたことでの恥ずかしさとかいろいろあって、しっかり僕のトラウマになっています。

クレームはその一回きりだったんですが、僕はこうやってクヨクヨしちゃうところも含めてやっぱり接客向いていないんだろうなと分かったのでした。

謝罪でガチになりすぎた

スーパーのバイト時代、とあるミスをしてしまいました。

「これどうすればいいですかね…(ミス自体は解決したけどそのミスをどう店長やらの上の方に言うべきか)」って同じ時間帯の先輩に聞いたら「まぁいちお軽く謝罪メモ書いて掲示板にはっといたらいいんじゃない?」と言われました。

僕はまだバイト入りたてで勝手が全く分かっておらず、その言葉を真に受けてしまい帰宅後、PCでワードを開いてせっせと謝罪文を作成しました。

これもう書くだけでも超恥ずかしいです。

インターネットで「謝罪文 サンプル」とかでGoogle検索して、でてきたとおりに「〇〇各位」とか書いてもう超ガッチガチにそこそこ長文で「このたびは大変申し訳ございませんでした」と書きました(笑)

次のシフトの時、早速印刷した謝罪文を掲示板に貼ったところ、あとから店長やらバイトリーダーやらがきて「ねぇ、あれ何?ww逆に怖いんだけどw。あんな本気で書かなくていいよ(笑)一言これがこうでミスしてすみませんでしたでいいよ(笑)」と笑いながら言われました。

最初の一人目に言われても全員が見るまで掲示板から外すわけにもいかないので、ずっと貼ったままにしておくと、そのあとずらずら色んな人から言われました…。

全然シフトの時間帯が被らないパートのおばちゃんからも「なんか…真面目な子がきたんだなぁ…って思ったよ(笑)。今の真面目な子ってこんなことまでするんだって(笑)」とか言われちゃって、もう顔から火がでそうになりました。

勝手がわからず、周りが想定していた以上のことをやってしまう…ってありません?僕ちょこちょこあって恥ずかしいです。

高速道路の精算時に間違えてキャッシュカード入れてしまった

18歳の免許取り立ての時です。まだ初心者マーク貼っていたと思います。

初めて親なしで高速道路に乗って、その時ETC非搭載の車だったので、支払う時は一般料金レーンに行ってクレジットカードで払おうと思っていました。

しかし、緊張だったのかクレジットカードじゃなくて銀行からお金おろす時に使うキャッシュカードを挿入口に入れてしまいました…。

もちろんエラーでカードが出てくるんですが、「あれ?なんで清算されずにでてくるんやろ…。もう一回や。えいっ」って運転席越しに3回くらいやり直していました。

3回目の時にマイクから「あの~大丈夫でしょうか」って感じで事務所にいるであろう人の声がしました。この時点で大恥です。

「あのっ、これクレジットカード入れても認識してくれないんですけど…」って言ったら「なるほど…。もう一度カードがあっているか確認できますか?」って言われて初めて気づきました。

「これ銀行のキャッシュカードやん…」ってね…。

もちろんちゃんとクレジットカードにしたら一発で通りました。申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいです。

宅配受け取りで余計なお世話しちゃった

Amazonで飲料×24本の箱を買いました。かっこいいお兄さんが玄関まできてくれました。

僕は人と目をあわせない・あわせられないので全然見ておらず「あっ、全然持ちますよ」って言いつつ両手を前に出しました。

すると向こうは「へ?」みたいな顔で「いや、大丈夫すよ。ハンコお願いします」ってあっさり言って飲料×24本の箱を片手に持ち替えて、ハンコ押す紙をだしてきました。

その時ちらっと体見て「いや、ごついやん…。お兄さんやん…。片手で平気そうにもってるやん…。俺余計なお世話やん…」ってなりました。宅配の人は全くもって悪くないです。

気遣いに対して「大丈夫ですよ」って返された時、勝手にこっちが一人カウンター食らっているだけです。一人でちょっかいだして一人でダメージをくらう…滑稽こっけいです。

ブランコで相手を怪我させてしまった

一生後悔していることです。

僕が小学生の時、いつも遊んでいた公園でブランコをこいでいました。座ってではなく立っていて結構勢いがついていました。

その時、同級生の友達の妹がいきなり走ってきてブランコの安全柵の中に入ってきました。それまでは砂場のほうにいたのにいきなり僕と遊びたくなったのか笑顔でこっちに走ってきました。

立ってこいでいて勢いがついていたので止めることができず、そのままブランコのカドが友だちの妹のおでこにぶつかってしまいました。

すぐに親を呼んで救急車を呼んでもらいました。おでこを二針だったか何針だったか忘れたんですが、うレベルの大けがをさせてしまいました。

幸いある程度期間がたったら完治し、本人も全然いいよ!って感じでした。

もちろん家に謝りにいきました。

友だちの親は「いやいや、いきなり入ってきたって〇〇くんと息子(同級生の友達)から聞いたよ。しょーがないよ。大丈夫大丈夫。そんなに泣かないで」ってなぐさめてくれました。

本人もいいって言ってるし親もいいって言っているとはいえ、僕は今でも「なんであの時、まだ僕より小さい女の子が近くにいるの知っていたのに立ってこいでいたんだろう。もしいきなり飛び込んできたら座ってこいでいる時と比べて明らかにすぐ制御できないってちょっと考えたら分かるだろう…」と思っています。

それ以降、今に至るまで僕はブランコがトラウマです。座ってちょっと動かす程度ならできますがこぐのは無理になりました。

お前が一生のトラウマになったかどうかなんて関係ない。あの子が当時味わった痛みに比べたら…って話ですよね。

ベアーの意味を調べてしまった

大学で株関連の授業がありました。その時は目の前にパソコンがあり、ブラウザを起動していただけで作業はしてなかったです。

先生が「ブル・ベアっていう用語があるんだけどうんぬん~。ベアって日本語で何か知っている?」って聞いてきました。

僕はとっさに目の前のパソコンで「ベア 日本語」と検索してしまいました。先生は「(え?それすら検索するの?)」みたいな顔していました。

結果、クマでした。

僕はてっきり株式関連の何か難しい英単語かなーと思って無意識に検索してしまいましたが、bear(熊)なら元々知っていました。

もちろん簡単かそうじゃないかは人によって異なりますが、少なくとも熊はベアということは僕の中で簡単な知識に分類されていたので、それを「キラーン。先生、僕に任せてください。このタイピング速度!サクッと調べられちゃいますよ~~」みたいなどや顔で調べたのが恥ずかしくて恥ずかしくて…。

美容院でかゆいところあっても言えない

現在僕は人見知りが激しくなっているので美容院(散髪)にはいけません。一人、自宅で切っています。

まだ小中学生の時は親と一緒にいっていました。

髪洗ってもらった時「どっかかゆいとこないですかー」と毎回聞かれました。本当は右のほうがかゆい…みたいな時にも絶対言えなかったです。

秒で「大丈夫です」と目に水がかからないためにしているハンカチ越しに言うのです。

「あっ、大丈夫です」人間

よくよく思い返してみると僕は何に対しても「あっ、大丈夫です」ばっかり言っていました。イエスマンならぬ大丈夫です人間です。

買い物した時、本当はエコバッグもってきてないからレジ袋いるのに「レジ袋いりますか?」って言われたら「あっ、大丈夫です」です。

病院に行った時、久々の外出で人を沢山見て気持ち悪くなってフラフラしているところに看護師さんがきて「大丈夫ですか?」って声かけてくれたのに「全然大丈夫です」です。

小中高しょうちゅうこう、「シャーペン貸して。消しゴム貸して。宿題見せて」には全部「あ、いいよ」です。

小中は返ってきましたが、僕の通っていた高校は偏差値が低く(40ない)悪い人もいたので返ってこないのもザラでした。傘何本盗られたか覚えてません。

偏差値が低いから悪いっていうのも失礼ですね。そこに通っていたお前も一緒だよってね…。こういう「自分は一歩引いたとこで語っている」感じだしているのも恥ずかしいです。

マックで頼んだバーガーが入ってなくても何も言いません。

Amazonで過去2回ほど明らかな初期不良品に出会ったことがありますが、返品も何もしていません。もう一度同じものを買うだけです。

Xiaomi 15 Ultra(2025年3月18日発売)」に取り付けるため、「HAKUBA レンズフィルター 67mm XC-PRO」を新品(4000円ちょい)で買ったのはいいんですが、明らかに開封されていて中古品っぽいのが入っていました。

「HAKUBA レンズフィルター 67mm XC-PRO」をAmazonで買ったら明らかに開封済みだった写真

中のレンズフィルターもホコリがついていたんですが、大丈夫です人間からの人見知りコンボなので何も言いませんでした。そのまま使っています。

「HAKUBA レンズフィルター 67mm XC-PRO」をAmazonで買ったら明らかに開封済みで中に裸でレンズが入っていた写真

僕としても苦労するし、他の人からしても「お前みたいな何もしないそうがいるからこっちにまでしわ寄せがくる。言うべき時はしっかり言ってくれ」でしょうし、誰にとってもいいことなしなんですが、性格なのでしゃーなしです。

性格だから…で諦めているのも性格です。

自分は物事を客観的に見れていると思い込んでいた

僕はブログを始めるまで「X(旧Twitter)」はほとんど使っていませんでした。

ブログを始めてから記事更新のお知らせついでに、おすすめに流れてくるバズっているポストを見るようになり、そこで気づきました。

僕は自分が思っている以上に視野が狭く客観的に物事を見れないんだなと。

2025年3月でいうと以下ポストが目に入りました。もしかしたら削除される可能性もあるので皆さんが見る頃には見れなくなっているかもですが…。

消えた時のために書いておくと、アメリカテレビ局が日本野球の文化「売り子(女性)」を紹介していて、それに対する引用で「外国から見たら異様な光景だろうな」と感想を呟いているポストです。

上記ポストに対して「女の仕事をうばうのはやはり女。本人がのぞんでやっている」といったリプがありました。

この時僕は大きく2つの意見が頭に思い浮かびました。

  • 別に男性も見たことあるから、差別じゃなくて女性の応募が多いだけやろ。女性に人気のバイトなんやろ。
  • まぁでもあんな重たいのいつ見ても大変そうだし、あんなミニスカートなの意味分からんし、やっぱり差別なんかな…。

何回かスポーツ観戦に行ったことあるんですが、ビールの売り子は確かに女性が圧倒的に多いです。男性も見たことあるけど1人とか2人とかです。

僕には妹がいるんですが、妹の友達は「売り子の衣装可愛いし、給料もいいし、試合は基本見れないけど会場の雰囲気は味わえるしでやってみたいけど、倍率が高いから受からない」と言っていたようです。

学生時代の時、妹から聞きました。本当かどうかは知りません。

僕が学生の頃、同じようなことを同じスーパーのアルバイトの高校生からも聞いたことがありました。

この経験から僕は女性差別とは思わず、単純に女性向きな職業なんだと思っていました。

しかし、それ自体が差別という意見もあり、まぁ一理いちりあるような気もしました。

現状、女性はミニスカートで笑顔でビールを売りさばくような仕事のほうが稼ぎがいいからやるしかない…と考えたら確かに差別のような気もします。

いや、でもそれって大きく男女の2種類で分類される人間にとって仕方ないことなんじゃ?それでいうと男性は力仕事!ってのも差別なんじゃ?いわゆる区別なだけで差別じゃないんじゃ?とも思いました。

「儲かるからやってるだけであって、儲からないなら好き好んでやる女はいないのでは?」みたいな意見も目に入り、「いや、それは違う。そんなの僕だって働かなくていいなら働かない。差別とか関係ない。働きたくない人は働きたくないだろうし、働きたい人は働きたいだろうし、当たり前のことを言っているだけ。」とかも思いました。

…とここまで考えておいてふと冷静になって考えてみると、「なんで僕客観的に物事見れてますよ感出して一人思考にふけってんだ…」と一気に冷めました。

「こういう意見もあるよな」、「そっちの意見も分かるな」…と客観的に考えられていると思い込んでいること自体、視野が狭いなと思いました。

例えば、妹やスーパーのアルバイトからという少数の意見で、あたかも女性に人気の職業なんじゃ?と思い込んでいた点、実際女性の応募が多いのかどうか、男性も応募しているけど不採用になっているのかどうか、実際売り子をやっている人の意見などそういった裏のことを一切知らずに「X(旧Twitter)」上の情報だけで思考巡らせていた点などなどです。

上記はあくまで一例です。

「自分あれもこれも分かった上で冷静に分析できています」ってのが恥ずかしかったと今になっては思います。

注意点としてあくまで自分がそう思っていたことに恥ずかしさを覚えるのであって、他人は知りません。そういう人がいようが気にしていません。

言ってしまえば思考放棄なのかもしれません。「X(旧Twitter)」の情報のみで自分がどうこう考えても仕方ないです。考えたところで何も変わりません。無駄なことです。

ただ一つ思うのが、僕の言う真の意味での客観的って多分一生たどりつけない無茶な領域な点です。

物事を俯瞰的ふかんてきに…。主観的ではなく客観的に…。ってそれって自分が自分という存在しか体験できない以上不可能です。全知全能の神じゃないと無理です。

何においても必ず自分が知らない情報のほうが多いです。当たり前です。IT詳しいって言っている人も全てのWindows11の設定、仕組み、PC名、CPU名、ソフト名を把握している方なんていないと思います。

知っているつもりでも知らない、知らないことを知らないという状況がある以上、物事を客観的に見るのは不可能だと思います。

だから「客観的に見れていると思い込んでいてそれが今となっては恥ずかしい」ということ自体、結局のところ主観的で客観的に見れていないです。

…この文章、ハイボールを飲みながら書いています。自分で書いていて何言っているのか分からなくなりました。何が言いたいんだ僕。

まさに今「自己分析できていると思い込んで物事語っている」っていう恥ずかしい経験を作り上げている気がします。

流されやすい性格が友達を傷つけた

僕は人に流されやすいです。

小学生の時周りが勉強していたから勉強していました。中学生の時勉強していない友達ができたから勉強しなくなって高校の選択肢が偏差値40ないところになりました。

友達やブログ読者様のこれおすすめ(商品にせよ曲にせよ何にせよ)って言ったものが僕のおすすめになりました。

そんなとにかく流されやすい性格が友達を傷つけたことがありました。

僕は髪を染めていて、ある日あんまり仲良くない人から「その髪色、変。ムラがあってうんぬんかんぬん…」って言われました。それを聞いて僕はこれは変なんだと思ってしまいました。

その後親友と遊んだ時、その親友も髪を染めていたので何を思ったのか僕もその仲良くない人が言ったみたいに「それ変」と言ってしまいました。

あぁぁもうっ!!!今になっても後悔です。

実際変かどうかは分かりません。いや、変じゃないです。そもそも親友だろうがなんだろうが自分以外の人に対して押し付けるものじゃないです。

なのに当時は今後僕の人生に関わらないであろう人が言ってきた言葉を鵜呑うのみにして、それだけにとどまらず親友にまで同じことを言って傷つけてしまいました。

あの時言ってきた人とはそれ以降交流はないです。結局その程度だったということです。

その親友とは高校からの付き合いで今でもずーーーっと交友関係が続いています。

今でこそちゃんと「あの時はごめん。当時の周りの環境に流されてた」と謝って許してもらっています。

ここまで書いてお気づきのとおり、流されやすい性格どうこうじゃなくて、流されやすい性格だということを言い訳にして自分をもっていないのが僕です。

自分がやったことなのに「流されやすい性格だから…」で逃げている…そんな自分…。

…と客観的に考えられていると思い込んでいる自分…。

ブックカバーないのに頼んでしまった

ちょーど「君の名は。(2016年)」が公開された時、友だちと映画館に見に行って帰りに本屋さんで何の本かは忘れたんですが本を買いました。

レジのお姉さん店員さんが「ブックカバーお付けになりますか?」って聞いてきて、「あっ、お願いします(「あっ」って言うのは人見知りのたしなみ)」と言いました。

お姉さんが見本を見せてきて「1~6番まで種類があって、6番はもう売り切れたので1~5番から選んでください」と言いました。

6番がまさに「君の名は。」公開記念のオリジナルブックカバーでした。

僕はちょーど見た後だったし家族も喜ぶかもと思い、数秒前にないって言ったお姉さんの言葉をしっかり聞いていたのに「あっ、うーんっと、じゃ6番でお願いします」と超真顔で言いました。

お姉さん店員さんはそりゃもう渾身こんしんの「えっ?」です。

もうね、恥ずかしくてしょーがないです。

「いや、ないって言っただろwww何言ってんだこいつww」っていうお姉さんの心の声が聞こえています。

正直なところ、仮にあったとしても普段アニメを見ていないからか、僕の性格がそうなのか、アニメ系の何かを頼むことにちょっと恥ずかしさみたいなものを感じてしまいます。

頼むこと自体に恥ずかしさを感じたのに、さらにないって言われたのに頼んだという追い打ちでもう「んがっぁあぁぁ!!!」です。

唯一の救いは友達と一緒に行っていたので、会計終わった後急いで友達と笑い話にした点です。これが一人だったら帰り道も家帰ってからもずっと恥ずかしかったと思います。

(いちいち言わなくていいと思いますが、一連の行動自体が実際に恥ずかしいかどうかは知りません。僕が恥ずかしいと感じただけなのでこれ見て「あの時の私も恥ずかしい行動してたのかな…」とか思わなくていいです。)

トイレした後ベルトぶらんぶらんで行ってしまった

高校生の時、検定をとるため会場である学校に行きました。

ただでさえ時間ギリギリだったのに、運悪くお腹が痛くなってしまい学校のトイレに行きました。急いで大をして「やべっ、間に合うかこれ…」で校内を早歩きして、何とか教室に到着しました。

心の中では「ふぅ~~。何とか間に合ったぜ」で安堵あんどの気持ちでいっぱいだったのに、教室にいた先生からの一言「はい、ベルトしましょうね~」で一気にどん底です。

ふぁ!?と思い自分の腰を見てみると、見事にベルトが外れていてブランブラン尻尾みたいに動いていました。

イメージ画像を貼っておきます。思い出しながら描いている時点でだいぶきつかったです。恥ずかしさでおかしくなりそうです。

ナポリタン寿司が検定受けに行った時ベルトぶらんぶらんで登場してしまったイメージ画像

さいわい…幸いって言っていいのか分かりませんが、教室にいたほぼ全員(20人くらい)にちらっと見られたけど、みんなこれから始まる検定に集中しているのかすぐに目そらしてくれたのは良かったです。

心の中で「くすくすw何やってんのあの子w」って思われるのはしょーがないんですが、そういう雰囲気を表にだされたら終わってました。

ブロガーに上から目線で指摘したことがあった

まだ始めたばかりの初心者ブロガーさんに「X(旧Twitter)」やブログのコメントで「こうしたほうがいいと思います」ってご意見したことがありました。

回数的には2回か3回とかなんですが、それでも恥ずかしいです。完全に反省です。

学生時代なら若気わかげいたり…と思って何とかおさえられるんですが、ブログを始めたのは2021年で21歳前後です。

年齢でくくるのは嫌いなんですが、自分の中では考えが学生時代より成熟していると思い込んでいた時にそんな恥ずかしいことをやっていたのでより一層追い打ちです。

僕は前々から「界隈かいわいのベテランが初心者に上から目線でガミガミ指図さしずする」という構図が嫌だと思っていました。

僕が友達と釣りしに行った時、そこにいたおじさんに「そんなんじゃぁつれまぁ(釣れないだろう)。貸してみぃ。こうするんじゃ」ってあれやこれや指示されたことがありました。

正直「友達と楽しむためにやってきたのにずっと近くで話しかけられると全然楽しめない…。仕事でもなんでもない趣味なんだからほっといてくれよ…。そんなガチじゃないんだよ…」と思っていました。

「いや、思ったならはっきり言えよ。言わなきゃ分からんだろ…。こっちは気遣って教えてあげてんだよ」と言われたらそれまでなんですが、それはまたそっちの別問題で、親切心でもなんでもないただ教えるという優越感に浸りたいだけの上から目線は嫌いです。

そう思っていたはずなのに気づけば自分がやってしまっていた…。そんな感じです。反省です。

知ったかぶりで教えるという行為そのものが恥ずかしいんじゃなくて、自分はあっち側にならないよう気をつけなきゃ…と思っていたのが知らぬうちにそっち側に回っていたことに気づいた時の恥ずかしさ・失敗です。

ゴミ拾いしている自分はいい人間だと思っていた

僕は朝ランニングした後、ポケットに入れていたミニトングと袋を出してゴミ拾いしています。

ナポリタン寿司の戦利品見せびらかし写真

毎日同じ場所を掃除していてもゴミはなくなりません。必ずいつものコースを回ると10本以上吸い殻を回収します。

正直裸状態の吸い殻なんてかわいいもんです。

うんちがべったりついたおむつ、使い終わった後の避妊具、袋にコーヒーの空き缶が何十個も入っていてそのどれもに吸い殻が詰め込まれている…なんてこともありました。

うんちおむつとかは心の不快感だけで済むのでまぁいいんですが、吸い殻が詰まった空き缶はいちいち家の缶オープナーで一つずつ開けて取り出す…という時間的にも身体的にもきついので最悪です。

大体同じ時間帯にゴミ拾いしていると見る人も常連化してきて、「いつもありがとね~」ってお礼を言われることもあります。

僕は世の中にとっていいことをしている…と思うかもしれません。

でも違います。僕の場合は全くもって違います。

承認欲求の塊です。ゴミを捨てるゴミ(人間の形したゴミ)と同じです。

ゴミがゴミを捨てるのは、自分で処理(ゴミ箱にもっていく)するのがめんどくさいからだと思います。自分の欲求です。

それと同じで、正直なところ僕はゴミ拾いなんかどうでもよくて、ゴミが落ちていると自分がイライラする、拾っていると何かいいことがあるかもしれない、それこそ誰かに褒められるかもしれない…という完全に自分の欲求のみでやっています。

地球が綺麗になってくれたら~とかはどうでもいいです。

僕一人がランニング後に掃除できる場所は日本全体で見たら本当にごくごく一部なのに、そんな狭い場所ですらろくに綺麗になりません。

1日たったらすぐに吸い殻まみれです。僕一人が掃除したところで何ひとつ変わりません。数年やってもう分かっているのでそんなことはどうでもいいです。

それでも僕が続ける理由は先ほど言ったように自分の欲求のためです。自分がゴミ拾いすることで気持ちよさを味わいたい。ただそれだけです。

現に黙って一人でやっていればいいものの、こうしてブログに書いて「僕ゴミ拾いしているんですよ?どうっすか?」とさりげなく承認欲求を満たそうとしています。

もっというとなんでゴミの写真(上記)があるんだよって話です。そうです。いつかこうやって公開できたらいいなで写真を撮っています。

僕がゴミ拾いじゃなくてゴミを捨てることで気持ちよさを得るタイプだったら平気でゴミを捨てていたと思います。

たまたま僕はゴミを捨てることに抵抗や嫌悪感を抱いて、逆に拾うことに気持ちよさを感じるタイプだったからそうしているだけです。

当然ゴミ拾い自体が嫌なわけではなく、邪な思いのみでゴミ拾いしている僕自身が嫌なだけです。

実際どういう思いがあるのかは分かりませんが、何十年もゴミ拾いされているようなおじいちゃん(おばあちゃんは今んとこ見たことない)は本当にすごいなと心の底から尊敬しています。

歩行者に譲らない車を見るたびにイライラしていた

信号がない横断歩道で歩行者が待っている時に車は一時停止してゆずってくれるかどうかで、2021年頃までは広島県が最下位を争っていました。

2021年以降は広島県全体があれこれ頑張りだしたのか改善されていっているようではあります。

でも気持ち超分かります。実際運転しているとまぁ一時停止しない車が多いのなんの。

みんな前の車に流れでついていくのに必死な感じがします。

車間距離が短いからそもそも歩行者がいることに気づけない、気づいたところでスピードもだしちゃっているから止まれない、「まぁ別に後の車が譲るでしょ」っていう他責思考…そういうのがひしひしと伝わってきます。

僕は自分で言うのもなんですが、結構な確率で止まっていると思います。友達にも家族にも「今よく気づいたね。歩行者いたの気づかんかったわ」と一回だけじゃなく何回か言われたことがあります。

そういう一時停止しない車を見るたびに「運転下手だなぁ…。歩行者がいるかどうかわからないようじゃいずれ事故するだろ。もっと車間距離あけて、住宅街なんだから60キロじゃなくて40~50キロで走っていたらいいのに…はぁ…。」と思っていました。

正直今でも思うには思います。でもそれってあんまりよくないことだなと思い始めました。何かきっかけがあったとかではないです。

「なんで俺今後の人生に関わらない人間の動き見ていちいちイライラしてんだ。こんなんでイライラしている俺のほうがやばいな」です。

運転している時に感情揺さぶられるなんて危ないですよね。もっと冷静にならないとなーと思いました。

別にもともとイライラするっていってもそれで窓開けて「おい!!なんで止まらんのんや!」とかクラクション鳴らすとかそういうのは全くしません。運転には影響しない自分の心の中だけです。

それでも止まらない車が大多数の中、いちいち心の中だけでもイライラしてもしょーがないです。キリがないです。

それに僕の場合、多分歩行者のためを思って譲っているんじゃなくて、ゆずったことによる「お前ら譲らない車とは違うんだよ」という優越感ゆうえつかん、ペコッとお辞儀される時の気持ちよさを味わいたいために譲っている気がします。完全に自己満足の世界です。

ましてやスピードをださない、車間距離をしっかり開けているってことは、そうじゃない運転をする方からしたら逆に僕のほうが迷惑車なのかもしれません。

「なんでこいつこんな車間距離あけてんだよ。イライラするなぁ…。もっと流れにあわせて運転しろよ下手くそが」ってなっているかもしれないと気づきました。

自分が変だと思っている相手は相手からしたら僕のほうが変ってことです。自分の正義は相手の正義じゃないみたいなね。

「横断歩道で待っている歩行者がいたら譲るべき。そうじゃない人間はおかしい」って思っていましたが、むしろおかしいのは僕の可能性もあります。

そうやって自分の中の常識・マナーを全員に押し付けるのは良くないなと思いました。

「人生は自分のものなんだからいちいち歩行者がいても譲ってられん。ばかばかしい」って思う人がいてもなんらおかしくないです。それが人間・個性・社会です。

ランニング中おならがでてしまった

いつものランニング中、唐突におならがでてしまいました。

「やべ…。ま、まぁよかった。幸い周りに人は…」とあたりを見渡すと東屋あずまや(休憩所)におばさんが座ってハトにエサをやっていました。

「き、聞かれてないかな…。大丈夫かな…」と思いながら何食わぬ顔で走り抜けていきました。

おならしてそれを聞かれていたら当然恥ずかしいですが、それ以上に「僕おならなんかこいてませんよ?」感を出して颯爽さっそうとランニングしたという自分の姿を俯瞰的ふかんてきに想像して恥ずかしくなりました。

何か恥ずかしい出来事をしてしまった時、それをあたかも取り消しにしようとする行動自体がより恥ずかしくなることってありますよね。

「いい、いい!もういいから…。分かったから…。これ以上俺を共感性羞恥心でいじめないでくれ…」ってなります。僕の行動を俯瞰的に想像して僕自身が共感性羞恥心になります。

共感性羞恥心の使い方あっているのか分かりません。

替え玉で皿ごとだしてしまった

僕はなぜか昔からラーメンがあんまり好きじゃなかったです。

具体的に何で嫌いだったのかは当時分からなかったんですが、そんな僕が大学生の時に友達と一緒にラーメン屋にいきました。

そこまで好きじゃなかったことからこれまでの人生ほぼ…というか記憶上ラーメン屋に行ったことがなかったです。大学生で初めてな気がしています。

そんな中、いざラーメンを食べてみると思いのほかおいしくて替え玉を頼みました。

ベルを鳴らして店員がきたところ、汁を残したお皿を渡すように前にだして「すみません。替え玉お願いします」って言いました。

店員さんは「あいよぉ」って言ってそのまま厨房ちゅうぼうに帰っていきました。

僕はてっきり自分の汁が残った皿を回収してその中に入れて持ってきてくれる…と思い込んでいました。今考えたらそんな非効率なことせず替え玉の麺だけ持ってくるのが正解です。実際そうでした。

店員さんがどう思っていたかは知りませんが、僕の中では渡すつもりで皿ごと前に出してしまったので、猛烈もうれつな恥ずかしさを感じました。

食券機で事前に買うって知ってたのに座っちゃった

友だちと汁なし担々麺を食べに行った時のことです。

初めての場所だったので事前にGoogleマップのレビューを見て、「事前に入口入ってすぐにある食券機で買ってから席に座る」と把握していました。

なのに実際入ったら焦って食券機スルーして席に座ってしまいました。店員さんから「あ、食券機で頼んでからお願いしまーす」って気だるそうに言われて大恥です。

何が恥ずかしいって後ろにいた友達は当然分かっていたので食券機で買っていた点です。

僕が店員さんに言われて後ろ振り返ったら当然そこに友達はおらず、食券機で冷静に買っていました。僕一人ずかずか席に行っていたという構図です。

「何やってんのお前w」とお互い席に座ってから笑われたのが唯一の救いです。助かります。

レジ袋いるいらないどっちなんだい

四国に一人旅行行った時、道の駅でお土産を買いました。

レジの店員さんは田舎にしては珍しい若いお姉さんでした。

「レジ袋いりますか?」→「はい、お願いします」→「3円かかりますがよろしいですか?」とやりとりしました。

その後僕なんて言ったと思います?

「あっ!!!やっぱりいいです!!!」って焦って大声です…。

お姉さん店員さんは一瞬びくっとなって「(何こいつ…?うるさ…)」って顔して、その後対応がそっけなくなりました。「ありがとうございます」もなかったです。

いや、僕が悪いんですよ…。レジ袋最初はいるって言ったのにいきなりいらないって方向転換したんですから…。ただの方向転換ならいいんですが、何か焦って大声になったのがもう…。はぁ…。

本当に申し訳ないです。

最初はいるなと思ったんですが、もう一度3円かかるけどどうする?って再確認のチャンス与えられた時に、頭の中で「いや、でも車の中に袋あるしな…。いや、まてよ。このままだとゴミ捨てる用の袋が足らなくなるからここで貰っておくのがいいのか?あ、でもよく考えたらホテルにゴミ箱あるんだから今貰わなくていいか…」みたいなことをぐるぐる考えてしまって、焦った結果大声「やっぱいいです」になりました。

僕みたいな自分で考えるとパニックになるタイプはおばさん店員の「あんたどーせ袋いるんやろ?入れといてやったわw3円はかかるけどなww」って感じで強制的に3円追加させられているほうが助かります。

USJのジェットコースター

大学生の友達2人(僕含めて3人)と大阪旅行に行きました。

USJでジェットコースターに乗ったんですが、この時、調子に乗ってしまい本当は危ないからやったらいけないと思いますが、一瞬両手を安全棒から離して万歳のポーズしてみようと思いました。

よく見ますが、多分ジェットコースターの説明的にはやったらいけないですよね。常に前の安全棒握っとかないといけなかった…と思います。

いざ両手離して「きゃ~」ってやろうとしたら、怖すぎてすぐに後ろの背もたれを掴む姿勢になってしまいました。

USJのジェットコースターで背もたれを掴む姿勢になっているイメージ画像

そのまま最後まで進んでしまいました。

乗っている時は「うわ、思った以上に怖くて万歳ポーズ無理や…」ってなっていましたが、じわじわ日数がたつにつれ、「あれ、僕たち先頭だったから後ろの人からしたら前の人がいきなり手を後ろにやってきた状況なんじゃないか…めっちゃ恥ずかしいことしていたな…」とダメージが蓄積していきました。

悪いことなんかするもんじゃないです。反省です。

一人でバナナ食べた

大学生の時、お昼ごはんにバナナを1本持ってきて食べたことがありました。

この時間は誰も教室にこないだろうと踏んでモグモグ優雅ゆうがに食べていたんですが、ガラッとドアがあいて同じクラスの女性が入ってきて恥ずかしくなりました。

急いで食べて皮をバッグに放り込みました。

自分一人の時は別にいいんですが、いざ人がきた時一気にその人の視点を想像してしまいました。「教室入ったらなんか一人でバナナむさぼっている男がいる…」という状況をね。

実際その女性がどう思っているかはどうでもよくて、自分が想像した時に恥ずかしさのような面白さのようなものがこみ上げてきて「うがぁあ」ってなりました。

予約制じゃない病院で予約したと言い張った

中学生の時です。

まだ当時自分が花粉症かどうか分からない時期でやけに鼻水がでる…ということで母親に車で送ってもらい耳鼻科に行きました。

僕調べだとその病院は18時くらいに受付終了で学校終わりだったので結構ギリギリでした。

一階の駐車場で母親におろしてもらい、その時に「まず入ったら受付で保険証と診察券出すんよ。あとは名前書いて待つだけ」と教えてもらったので、それを頭でイメージしながらダッシュで階段を登って二階にある病院に入りました。

階段をのぼりきった時、ちょーど18時くらいで息ハァハァしながら入って受付の人に第一声「予約していたナポ寿司です。」って言っちゃいました。

受付のお姉さんは「な、なんか息ハァハアの変な学生きた…。なんだこいつ気持ち悪い…」みたいな顔で「あの、うち予約制じゃないんですよ」と若干切れ気味でいってきました。

大恥です。中学生ながらお姉さんって怖いな…と思いました。

「あっ、す、すみません…。診察してほしくて…」で何とか乗り切りました。

この一連も十分恥ずかしかったんですが、その後結局18時15分くらいになってもおじさんとかきて全然受付していたのがもっと恥ずかしかったです。

僕は律儀に受付18時までっていうルールを守るためにダッシュで行きましたが、その後当たり前のようにルール守らずくる人たちのせいで、まるで僕がバカみたいになりました。

いや、病院側としては18時までにきてくれる人のほうが助かるんでしょうけどね…。

今回のことに限らず、世の中0か1じゃなくて臨機応変に変わるものっていうことを学びました。

滝(自然)で大はしゃぎしてたら人がいた

友だちと九州の滝巡り旅行にいった時のことです。

とんでもない大迫力の滝(大分県日田市にある桜滝)を目の前にしてテンションが上がってしまい「うぉおお!!!自然最高ぉぉぉ!!!」と友達と叫びあっていました。滝の轟音ごうおんもあり、かなり大声で叫んでいました。

大分県日田市にある桜滝の写真1
大分県日田市にある桜滝の写真2

ふと後ろを振り返ると2人のごっついカメラもったおじさんが静かに滝を撮影していました。

超恥ずかしかったです。おじさんたちは「若い子は元気があってええのぉ…。わしらは静かに滝撮りますよ…」って感じでにんまり顔だったんですが、それでもこっちからしたら大恥です。

まさに僕が好きな芸人「ジャルジャル」の「端にもう一人おった奴」シリーズと同じ感じです。

カルパス食べたのに食べてないって嘘ついた

小学生の時です。

家のお菓子保管場所にカルパスがあったので、当時の僕は「なんだこれ。辛いのかな。ちょっと食べてみよう…」でこっそり開けて一つ食べました。

大袋に何個か入っているタイプでした。

「カルパスってこんな味なんだ…おいしいじゃん」と思ってそのまま残りはしまっておいたんですが、後日(数週間後とか)母親が見た時に「誰ね!これ勝手に開けて食べたの!」と兄弟に向かって怒りだしました。

というのも僕が食べたカルパスは乾燥剤と一緒に入っていてどうやら大袋開封後はなるべく早く食べないといけなかったっぽいんですよね。それで何か湿気がきたのかわかんないんですけど、味がおいしくなくなっていたみたいで…(笑)

母親は未開封だから大丈夫と思っていたんでしょうが、実際は結構早い段階で僕がこっそり開けて食べていたので、それで怒っていました。

その時僕は怖くて「カルパス?何それ。知らなーい」となるべく平静へいせいよそおって嘘つきました。

その直後、妹が「でも、兄ちゃんあの時食べてたじゃん?おいしいって言ってたじゃん」っていう妹の無邪気な結果発表により、僕はより怒られたのでした。

後半から「私は食べたことに怒っているんじゃない。食べていないって嘘ついたことに怒っているの!」と怒りの原因変わってました。まぁそりゃそうか…。

嘘は良くないです。

認知症の母方のばあちゃんが、ことあるごとに「人に嘘ついたら自分に返ってくるから真面目に素直に生きていきましょう」と言っています。その通りです。

怒られている時笑ってより怒られた

これまた小学生の出来事です。

正直何が原因だったのは忘れたんですが、家で父親にこっぴどく怒られていました。僕は立った状態で父親は僕の顔の前にくるようしゃがんでいました。

その時ほんと今でも何でなのか全く理由が分からないんですが、無性むしょうに面白くなってしまい怒りのピークきてるんじゃないかって時「ははっ」って笑っちゃいました。

その瞬間僕の視界はいつの間にか横を向いていました。

「へっ?」と思った後に「あ、父親にビンタされて横向いたんだ」とちょっと遅れて気づきました。

「なんで今自分笑ったんだ?」という疑問と父親の躊躇ちゅうちょないビンタで痛みうんぬんよりびっくりのほうが大きかった記憶があります。

笑っちゃいけない状況になればなるほど逆に面白くなるっていう現象、僕ちょこちょこあるんですよね…。物事を変に客観的に見ようとしているせいか、唐突に爆発するというか…。

もちろん「芸人さんみたいに面白いww」って意味で笑うんじゃないんですよ。自分でもうまく説明しにくいんですが、強制的にこしょこしょやられて笑いたくないのに笑っちゃう…みたいな。

面白いかどうかの意思に関わらず、急にこみ上げてくるというか…。失礼なことってわかってはいるんですが、自分でもどうしようもできないというか…。

まぁ幸いそれ以降あんまり怒られるようなことしてこなかったので、そこまで機会はないです。人とのコミュニケーションがないってだけかもです。

冬になると連絡断ち切ってしまう

毎年冬になるとどうしてもうつが強くなるのか、からに閉じこもりたくなります。現在進行形です。

2020年から毎年そうです。

いつも冬(12月~4月)に友達との連絡手段(LINE)を全部断ち切ってしまっています。ひどい時はアカウント削除です。もう僕かれこれ10回以上削除繰り返していると思います。

おかげでLINE友達は常に1人か2人です。

浅い関係の人とはとっくのとうに縁切り状態です。

深い関係…いわゆる大親友とはなんだかんだ活動しだした時にまたつながるんですが、毎回そのたびに申し訳ないなぁ…と思います。

自分の周りにそんなめんどくさい人いたら僕嫌になりますもん…。なんだよ毎年冬に連絡断ち切るって…。そんなくよくよめんどくさい性格の僕にも愛想つかさずにずっと友達でいてくれている…ありがたい限りです。

いきなり連絡断ち切って春にまた遊んだら「ういっすー」とまるでいつもと変わらないように接してくれる…なんてすごいんだ。

友だちに感謝。と言いつつどーせまた次の冬になると同じことの繰り返しなんだろうなと思います。自己嫌悪と申し訳なさで頭おかしくなりそうです。

トイレで勘違い返事した

中学生の時です。

僕は昔からお腹が弱く、頻繁に授業中トイレに行っていました。

正直、みんながシーンと授業聞いている中で「せ、先生。トイレいってきていいですか」って挙手して言うのも相当恥ずかしかったです。

理解がない先生だと「行ってもいいけどお前何回目だ?みんな体調整えて真面目に授業受けてるんだからお前もしっかりしろ」みたいなことを言われたりして嫌でした。

まぁそれはおいといて、その日も社会の授業中お腹が痛くなってトイレに行っていました。

すると先生(女性)がトイレにきて「(こんこん)大丈夫?ちょっと一回出てきなさい」って若干キレ気味で言ってきました。

心の中では「いや、なんで男子トイレに平気で入ってくるんだよ…。さらに一回出てこいってどういうことだ…?まだ力んでいる途中なんだけど…。」って感じです。

今思えば現代でいう男性差別(女性は平気で男子トイレや更衣室に入ってくるやつ)なんでしょうけど、まぁそんなのはしょーがないです。

なんとか「すみません。今ピークなので出れないです」って言ったら「あれ?〇〇君?あなたはいいのよ。ごめんね邪魔して」って一気に優しめモードになりました。

「あっ…よかったぁ。誰かと勘違いしてたのかな。よし、まだ先生おるけどラスト踏ん張るぞ!」って思った時に、もう一回今度は近い距離でコンコンってノックがして「じゃーこっちね。あなた一回出てきなさい」って言われました(笑)

今度のノックは明らかに僕の個室のドアだったんですよね。

「え?あれ?ここが僕ですよ」って言ったら先生も「あれ?こっちが〇〇君?」でお互いびっくりです。

僕が最初のノックの時に僕の個室を叩かれていると勘違いして返事しちゃっていました…。自分のドアをノックされた時明らかに音が大きかったので、なんであんな遠くのノックで返事しちゃったんだよ…と恥ずかしかったです。

ちなみに僕以外にもう一人男がトイレの個室に入っていて、その人がヤンキーだかなんだか知らないけど授業さぼってトイレこもっていたとかなんとかで先生が怒って指導しにきていたオチでした。

そのあと僕がトイレしている間、あれこれやりとりしていました。

いや、最初のノックの時にお前ちゃんと返事しとけよ…お前がだんまり決め込んだから僕がう〇ちしているのに頑張って返事してでもそれ勘違いだったっていう恥ずい思いしちゃったじゃんかよ…です。

結局先生とその生徒のひと悶着もんちゃくが終わるまで恥ずかしくてトイレでれませんでした。

男子トイレで不良生徒と先生が言い合いしている中、それを聞いているトイレ中の僕…。もう気まずくてしょーがなかったです。

自分が呼ばれていると勘違いして返事した

トイレで勘違い返事した」と似ています。

ゴミ拾いしたペットボトルを公園の水道で洗っていると、「あれ?〇〇君かな?いや、でも違うかな。あっでもやっぱり…!〇〇くん!〇〇くん?」とおばさん(っぽい声)が話しかけてきました。

最初は〇〇君の部分がよく聞こえずにどーせ僕ちゃうやろ…で無視していました。

しかし、何回も「〇〇くん?あれ?違うのかな?」みたいな声が聞こえてきたので、だんだんと僕も「あれ?これ僕呼んでる?」と勘違いしました。

極めつけに、しゃがんでペットボトルを洗っていたので周りはあんまり見えていなかったんですが、ちょっと前のほうの地面に声の主であろう人の足が見えて明らかにこっちに近づいているのが分かりました。

「あ、これはもう僕や」と思いガバッと顔をあげて「はい?」って初めて声の主を見て返事しました。

すると予想どおりおばさんで「でも顔は見たことないな…あ、でもあそこの親戚か?」と高速で思考を巡らせていると、そのおばさんがこっちを見て一気に怪訝けげんそうな顔になって「えっ…。あの違います(何こいつ…こわっ…みたいな顔)」で僕の横を通り過ぎていきました。

後ろをふりかえるとだいぶ遠くのほうにいた家族(それも犬)に向かって話しかけていました。

「わ~〇〇君だ(犬の名前)。元気してた?わぁ~かわいいねぇ~よしよし~~」ってやっていました。

僕がゴミ拾いで拾ったペットボトルを洗っている時におばさんに話しかけられているイメージ画像

なんかもう…恥ずかしいとかのレベルじゃなかったです。

必死になって拾ったペットボトルを洗っていたのを見られた点、自分が呼ばれたと思ってそこそこ大きい返事で「はい?」って言った点、よく聞いてみると僕の名前と似ているけど僕の名前じゃなかった点、人じゃなくてまさかの犬を呼んでいてそれに反応しちゃった点…など恥ずかしさがてんこ盛りでした。

まぁでもこれさすがに僕悪くないだろうとも思っています。

もっと犬を呼ぶなら近くに行くか、もっと大きい声で言えばいいでしょって思います。明らかに僕にだけ聞こえるような声量で呼んできたので勘違いしました。

多分あれは呼んでいたというより、自分の中での独り言・確認だったのかなと思います。

たまにいますよね~。独り言でかすぎて周りが勘違いしちゃうパターン。

そんで反応しちゃったらいきなり「え?何こいつ…こわっ…」って一気に被害者顔になるパターン…。いや、お前が…あぁっもう!ってなります(笑)

実をいうと僕も以前友達にまんま同じことをやっちゃったことがあるので反省です…。独り言は周りに人がいない時に言いましょう。

知人のポイ捨てを注意できず笑って見過ごしてしまった

大学生になったばかりの頃です。

大学生になった時って、まだ友達と呼んでいいか分からない微妙な浅いラインの交友関係がちょっと増えません?僕は入った時そうでした。

その人ともそんな微妙な関係でした。今となっては明確に友達じゃないって言えるんですが、当時は右も左も分からず、とにかく後ろホイホイついていかないと置いてかれる…そんな気持ちでした。

その人は平気でゴミをポイ捨てする人でした。正確には取り巻きも一緒でした。

4~5人のグループで僕も混ざっていたところ、コンビニで買って食べた弁当の箱をそのまま道路の端っこのほうに置いていきました。置いたというよりは投げ捨てた感じです。

弁当だったりパンの袋だったり大きさに差はあれど全員そうでした。

本人たちは談笑しながら本当に一ミリも罪悪感なんか感じてないかのように「まじかよwwほんでどうなったん?w」って話を続けていました。

僕はその時注意できませんでした。

完全に見て見ぬふりして話に混ざって「あははw」って見過ごしていました。

当時から僕はどうしようもないダメ人間だなと分かり切ってはいたんですが、改めて自覚しました。

もしかしたら正常な人間はこういう他人の腹黒い部分を見て「ダメだろそれは!」と自分の意志をしっかり持って注意できるのかもしれません。あるいは案外「人間、こんなもんだから別に気にしない気にしない。目の前の関係が大事やw」と気にしないのかもしれません。

僕はどうでしょう。その場で注意するほどの勇気も体力もなく、かといってすぐに切り替えられるような人間でもなく、ずっと…ずぅぅぅぅっと心の中で後悔し続けています。

大学一年生の時ですから、本記事を書いている時点(2025年4月30日)で5年近く経過しているんですが、一ドットも欠けることなくあの時の光景が記憶に残っています。光景だけでなくその時僕がどういう思いで見過ごしたのかの一連の心まで全部覚えています。

なんていうんでしょうね。

注意するとか、気にせず見過ごすとかは正直どっちでもよくて、その後の自分で乗り越えて次のステップに進むという過程がうまくできないのが僕が僕を嫌いな理由の一つです。

世渡り術?処世術しょせいじゅつ?が0です。

結局、そういううまく自分の中で消化できない出来事が大学ではありすぎたので耐えられなくなってやめました。

親が休学届だしてくれていたのに復学できなかった

ひとつ前に書いたように大小あれど沢山の出来事が積もってそれを自分で乗り越えることができず、大学をやめました。

正確には何も申請せずに行かなくなりました。引きこもりです。

数か月くらいたった時に親から「休学届出してるから2年までは大丈夫よ」と言われました。

僕が知らないうちに勝手に親が休学届の書類を印刷して名前を書いて僕の署名欄は適当に筆跡変えて、本人確認書類(学生証)も勝手に財布からだして提出していたようです。

しかし、結局2年のMAX休学期間を消化しても復学できませんでした。かぁ~。

両親を恨んでいる

僕の中でもトップクラスに恥ずべきこと・失敗なことだと思っています。

僕は両親が世界で二番目に嫌いです。

理由は単純で「僕を生んだから」です。

両親の人格うんぬんは関係ないです。優しいほうだと思うし、両親共働きで家自体の財産はあったほうだと思います。

僕の家庭はお小遣いや誕生日のお祝いなどの制度がなかったので僕自身はお金があるとは思ったことないですけどね。スマホも高校三年生の時に許可してもらえました。

まぁとにかくニュースでたまに見る虐待ぎゃくたいうんぬんとか貧困ひんこんうんぬんとか両親がいないとかそういうのではないです。

だからこそです。だからこそより恥ずべきこと・失敗したと思っていることリストの上位です。

他の人、特に貧困家庭だったり両親がそもそもいない家庭だったりの人からしたら「いるだけまし」、「優しいだけまし」と思うかもしれません。

そういう何も僕のことを知らない世間の目も相乗効果にしかなりません。より一層自分自身が嫌いになります。

両親を好きになれない自分が気持ち悪いです。どうしても「どうしてこんな辛い地獄に産んだの?どうして生まないって選択肢を選んでくれなかったの?」と思ってしまいます。

僕の両親が言う「子供が一番大切」って言葉は嫌いです。結局、両親は自分が一番大切で自分が可愛い子供に会いたいからという自分の欲で生んでいるからです。

最初から「あなたはあくまで私の欲を満たすための道具。自分が一番大切であなたは二の次」って言ってほしいです。

正確にはそういう言葉が嫌い…というより、そういう言葉を嫌いと思う自分の歪んだ考え方が嫌いです。

ここまで言うとお分かりのように、世界で一番嫌いなのはダントツトップで僕です。優勝だわーい。越えられない壁があって二位に両親です。

「こんな僕を否定せずにここまで育ててくれてありがとう。そもそもこういう思考ができるのもこうやって生んでくれて僕という存在が形成されたからだよね…。だから感謝しないとね…」って思考に2000年に生まれてから一度もならない自分が心底嫌いです。

人の目を気にしてばかりで自分では何も行動せず、変わろうともしない。そんな自分が心底嫌いです。

両親を恨んでいることなんか自分への恨みに比べたらミジンコレベルです。0に近いです。

いつか優勝者の順位が変わる時がくるのだろうかー。

バスで降りるボタン押せなかった

大学一年生のちょっとの間は公共交通機関で通学していました。途中からは免許取ったので車です。

電車とバスを利用していたんですが、バスって電車と違って降りる時にボタンを押さないといけません。運転手さんに「僕次のバス停で降りますよ~」って伝えるためです。

参考:写真AC

僕が降りるバス停は基本的には押さなくても停まってくれました。

そこそこ主要なバス停だったので大抵乗る人が待っているからボタン押さなくても止まってくれる、あるいは人がいなくても僕以外の他の乗客が押してくれるから僕は押さなくてもよかったです。

しかし、この時はたまたまそのバス停に降りる人が僕以外にいなかったのか誰もボタンを押さなかったです。

多分ふつーの方は「ほんじゃ僕が押しますか」とすっと押しますよね?何の躊躇ちゅうちょも思考もせずほんとすっと押すと思います。

僕の場合、「こ、これいいのかな…。なんか僕一人のために停まらせるの迷惑かな。これで押して何か変なことになったら恥ずかしいな…」とかあれこれ考えちゃって結局押せませんでした。

結果、目的のバス停から何駅も離れた場所で別の乗客が押してくれたので、それに乗じて降りることができました。行ったこともないバス停でした。

幸い電車の駅は近かったので帰れました。まぁ駅が遠くても歩くのは好きなのでこれ自体はさほど問題じゃないです。

「僕ってバスでボタン押すのもできない人間なんだ…」と自分自身に失望しました(笑)

誰もボタン押さない=そのバス停で降りたがっているのは僕だけって考えた時、僕一人のために運転手さんが寄らなくてもいいバス停にハザードつけて停めて車が来ていないか確認して出発…という運転の手間をわずらわせてしまうのが申し訳なくて押せなくなりました。

こんなこといちいち考えてしまうの嫌いです。

よく言えば人のこと考えて気遣いできるってことなんでしょうが、僕の場合それがいきすぎてしまっていて逆に相手に迷惑です。

多分運転手に言ったら「はぁ!?んなもん気にせずさっさとボタン押せよ!こっちは仕事なんだからそんなの気にしてるわけないだろ!むしろそうやってお客さんが勝手に一人で困っていると、こっちが降りたがっていたのを察しなかったのが悪かったのかなとか考えてしまうだろ!いい迷惑なんだよ!」ってなると思います。

とにかく貰いあくびする

僕は貰いあくびするタイプです。

目の前の友達があくびしたら100%僕もでてしまいます。というか目の前にいなくても端っこだったり、テレビやPC画面に映っている人があくびしててももらってしまいます。

ふとあくびがでて、ふっと近くの友達を見たら口抑えてあくびしていた…みたいなこともしょっちゅうあります。多分自分では認識できないレベルの無意識下で相手があくびしていることを認知しているんだと思います。

さらにいうと対象が人じゃなくてももらいます。うちの飼っている亀ちゃんは人間でいうあくびなのかは分かりませんが、それっぽい行動をします。爬虫類はちゅうるい苦手な方はすみません。

上記動画を見るだけでもあくびがでてきます。

自分でももうこれ一種の特技だろって思うレベルです。

もらいあくびは共感性きょうかんせいが高い人におこりやすいようですが、そう言われると自分で言うのもなんですが納得です。僕は常に人の目ばかり気にしていて友達のことは好きなものから性格の隅々すみずみまで知りたいタイプです。

参考:友だちのあくびは、なぜわたしにうつるの? | ヒト | 科学なぜなぜ110番 | 科学 | 学研キッズネット

「だから何?それ恥ずかしいことや失敗したことなん?」って言われたらそこまでじゃないんですが、なかったほうがいいなとは思います。

運転中、助手席の人がしただけでもらいあくび強制的に発動してしまい、口あんぐり開けて目が涙目になるので運転しにくいんですよね。毎回運転するたびに助手席の人があくびするわけじゃないので滅多にないっちゃないんですけどね。

あとは「お前眠たいん?」と勘違いされやすいのも困ります。そうじゃなくて多分今視界のすみにあくびした通行人がいたんだと思う。それうつっただけ…っていちいち説明するのがめんどくさいです。

これもまた1年に1回あるかないかくらいの低頻度なのでどうでもいいっちゃどうでもいいんですけどね…。

もらいあくびが嫌だ…というよりは、もらいあくびをしてしまう原因であろう共感性の高さが嫌です。もう少し人のことどうでもいいやっていう性格だったら生きやすかったのかなとは思います。

貧乏ゆすり笑われた

僕は貧乏ゆすりめっちゃするタイプです。

昔から癖でやりがちで、貧乏ゆすりは実は体にいいって知ってからももちろん変わらずやり続けていました。続けている…というよりかは気づいたら体が勝手にやってしまっている状態です。

参考:貧乏ゆすり、実は健康にプラス – 日本経済新聞

多分家で座っている時間のうち、リアル3割くらいは貧乏ゆすりしていると思います。5時間座っていたら1時間以上は合計時間でやっている気がします。

さすがに「イライラしてそう」、「ソワソワしてそう」、「なんか気持ち悪い…」とか思われたら嫌だなと思い、外だと意識してしないようにしていますが、貧乏ゆすりマンが完全に制御できるわけもないです。

ふとした時にやってしまい、その時一緒に遊んでいた女友達(幼馴染)に「ねぇ、なんか一緒にいてはずいからそれ(貧乏ゆすり)やめてw二人の時は好きにしてええけど」と笑われながら注意されました。

幼馴染に指摘された事自体も恥ずかしいんですが、それよりも気を遣わせてしまい「二人の時は好きにしていいよ」って言わせてしまったこと、外でしないようにしていたのが無意識に制御できずにやってしまっていたことが何よりも恥ずかしいです。

いや、幼馴染のほうがよっぽど恥ずかしかったと思いますけどね…。反省反省…。

欲を言うと、貧乏ゆすりが恥ずかしくないポジティブなイメージに世界が変わると嬉しいなとは思います。

口の音なのに先生におならって思われた

中学生の時です。英語の授業でふとした時に口から「ブブッ」と音がでてしまいました。

たまに呼吸したらちょーど口の形がかみ合ったのか分かりませんが、何かの音に聞こえることないです?それが口笛的な音ならよかったんですが、その時は結構おならっぽい音になってしまいました。

しかも、ちょーど皆シーンとなっている時でした。

英語の女性先生は「まぁまぁまぁ…ね(笑)」と言いながらにんまり顔でした。

僕は必死に「いや、今のは本当に口の音です!!違うんですって!」って言ったんですが、聞く耳持たず「いや、別に怒っているとかじゃないから大丈夫よ(笑)そういうことあるよね(笑)」と私大人な対応していますよ感出されたのがより恥ずかしかったです。

それ以上言ってもただのおならをごまかすための言い訳にしか聞こえないだろうなと思い諦めました。英語で少人数の授業だったのでぎりぎりまだセーフだったんですが、それでもほんと恥ずかしかったです。

家で一人踊ってたら外の通行人に見られた

元気な時、家で一人「ルンルル~~ン♪」とおどる時があります。踊るって言ったってダンス習っていたわけでもなんでもないので、ただ気分が乗るまま動き回るだけです。

僕の家はベランダにでたら通行人と目が合うような場所です。この時はちょーど天気も良かったのでカーテンどころかレースも全開にして日差し(太陽の光)を家の中に取り込んでいました。

そんなことは気にせず、「らんららんら~~ん♪」と目をつぶりながら踊っていて、ふと目を開けたら窓越しに外の景色が見えて、そこにちょーどいた通行人とがっつり目があってしまいました。

ナポリタン寿司が自宅で踊っているところ通行人に見られたイメージ画像

別のその通行人はそれまでずっと見ていたってわけじゃなさそうで、たまたま歩いている時に目に入った…って感じでした。すぐに目そらしたのでその後分かりませんが、それにしても超恥ずかしかったです。

それから数日は家の中にいても心が落ち着かずそわそわしていました(笑)

今はもう平気です。ちゃんとレースのカーテンしてから踊ってます(笑)ルンルル~~ン♪

折り畳み傘が小さすぎて笑われた

高校の時の帰り道です。

僕の高校はこちらでも書いたように偏差値が低く、それが直接関係しているかは他の高校を知らないので分かりませんが、傘がしょっちゅう盗られる場所でした。

「名前書いているとか目立つ傘にしたとか関係なしにもう自分の手から離れたら盗られる。だったら肌身離さずバッグに入れられるたたがさにしよう」と途中から折り畳み傘を使うようになりました。

そんなある日、いつものように仲いい友達と下校して、雨が降っていたので校舎出た時に折り畳み傘を広げました。

ばさぁっと音がしていつものように黒い折り畳み傘が僕をおおってくれたところ、後ろから「えっちっさwww」と女子の笑い声が聞こえてきました。

「ん?」と振り返ると一緒のクラスの女子とその友達がこっち見て笑っていました。

まさに僕の折り畳み傘の大きさを見て笑っていました。そうなんです、僕の超ちっちゃかったんです。

子供用か!って思うくらい小さい面積で僕一人やっとカバーできる大きさでした。相合傘なんて到底無理なサイズです。しょーがないじゃん、家にあったのがそれしかなかったんだから…。

一緒にいた友達の折り畳み傘が大きかった分、余計小さく見えたのかなと思います。

別に赤の他人じゃなくて一緒のクラスの女子で、さらにバカにしているというよりは単純に面白くて笑ってくれたって感じだったので全然よかったんですが、今でも一緒にいた友達からはネタにされています。恥ずかしいです。

実際は「あの時めっちゃ面白かったわ~(笑)」とネタにしてくれるだけで嬉しいんですけどね。

箸の持ち方を指摘された

2020年に箸の持ち方について女性友達に指摘されました。

「なんかずっと気になってたけど箸の持ち方微妙にちがくない?直せるなら直したほうがいいと思うよ」って感じです。

僕は2000年生まれなので指摘される2020年までの20年間、誰にも指摘されず、僕自身も気づかず生きていました。

最初に言われた時「はぁ?いやいや、僕の持ち方正しいよね…?どれどれちょっと見比べてみよ」ってやった時に初めて自分の持ち方がおかしいことに気づいて本当にもう超ショックでした。

もしかして…と思い確かめたらペンの持ち方も微妙に違っていました。

指摘された瞬間も超恥ずかしかったんですが、何よりこれまで自覚がないどころか自分では正しいと思っていたからこそ、堂々と平気で人前でもしていたので、僕が気づいていないところで「この人箸の持ち方違うな…」って思われていたのかもしれないのが本当に恥ずかしいです。

「なんで20歳になるまで自分で気づかず、人に指摘されてから気づくんだよ…」と自己嫌悪です。

指摘してくださった女性も申し訳なさそうに言ってくれたのが余計にみじめです。

もしこれまで僕の箸の持ち方に気づいていた人がいたとしても、その人は今後の関係性に亀裂が入らないよう指摘しなかったということです。

一方で指摘してくれた女性は「指摘することで自分が嫌われてしまうかもしれない」という不安もあっただろうに、それでも「こいつ本当に気づいてなさそうだから今のうちに言っておかないとあとあと長い人生で後悔するかもしれない」という真の意味で僕のことを気遣って言ったと思うので本当に感謝です。

家族以外でかなり踏み込んだことを指摘してくれるまでの関係性になっていたことも嬉しいです。

ただ…ただ…ここが一番の自己嫌悪ポイントなんですが、僕的には頑張ってみたんですが直せませんでした。

子供が使う繋がっているタイプの矯正箸きょうせいばし)を買って、家での食事は全部それにしてみて一年くらい頑張ってみたんですが、やっぱり通常の箸にした時いつの間にか自分流の持ち方になってしまいました。

箸の持ち方なんて誰かのせいや環境のせいじゃなくて、100%自分のせい・甘えだと思うので自分がみじめでしょうがないです。

現在は誰かと食事に行くことも滅多になくなったので、もういいやで諦めていますが、直そうと思っていた時は夜一人で何度も泣いてしまいました。

どうして直せる年齢の時に気づかなかったんだ…、どうして直せないんだ…、どうしてもう20歳だから直せないと心のどこかで思ってしまうのか…、どうして僕はこんなにダメなんだ…とね。

余談ですが、このことを母親に話したら母親も泣いていました。「え?箸の持ち方違うん!?」、「ごめんね…。ごめんね…。気づいてあげられなくてごめんね…」とね。

いやー、全部自分のせいです。

クロス箸(交差箸)みたいな明らかに分かる持ち方じゃなくて、本当に些細な違いなので、2020年に指摘されるまで自分も家族も気づかなかったんだと思います。

微妙に親指の位置が違うんですよね……。

ジュース無料引換券貰えたはずなのに指摘できなかった

何か飲み物を買おうとコンビニに行った時、「このカフェオレを買うと、次回の会計時に使えるレモンティー1本の無料引換券プレゼント!期間は〇〇」っていうPOP広告があったので、迷わずカフェオレを買いました。

僕レシートとか原材料名とかよく読むタイプなので、そのPOP広告もじっくり最初から最後まで読みましたが、条件、期間ともに完全にクリアしていました。

「よし、これで引換券貰えるぞ」と思いレジに行ったら、何事もなく「あざした~」で終わりました。

狙ってカフェオレを買った大抵たいていの方は「あの、レモンティーの引換券…」と言うと思います。僕は当然言えませんでした。当たり前です。

さいわいカフェオレはおいしかったので全然よかったんですが、こういう些細ささいなところでも損する性格だなと思いました。

「いや、言えよ」ってだけの話なんでしょうが、なら僕からも言わせてもらいます。「いや、言えねーんだよ!」です。

スーパーでいちご買ったら一部傷んでいたけど指摘できなかった

スーパーでいちごのパックを買った時に、レジでアルバイトらしき店員さんが「あの、これちょっといたんでいるっぽいんですけど、大丈夫すかね?」って親切に言ってくれました。

どれどれ…で見たら確かに色が黒ずんでぐちゅぐちゅって感じになっていて明らかにいたんでいるなこれってのがありました。

でも僕はそこで「あ、じゃー新しいの持ってきます」とは言えず、「あっ、あっ、大丈夫です。全然…はい…」です。

お兄さんは一ミリも悪くないです。

ただ「大丈夫?」と言われたら必ず大丈夫じゃなくても反射的に「大丈夫です」って言っちゃう僕の性格が100悪いです。

しいていうなら気づいたなら「大丈夫?」じゃなくて「これ傷んでいるの入っているんで変えてきますね」って言ってほしかったです。「大丈夫?」ってこっちに判断任せてしまう系だともう僕の場合ダメです。

否定から入る友達に指摘

僕の人生にはこれまで何人か必ず否定で入る人がいました。

  • 僕「〇〇ってことなん?」→相手「いや、そうじゃなくて〇〇ってこと(結局僕が言ったことと一緒)」
  • 僕「これ買ったけどめっちゃいいよ。〇〇とか〇〇とかの機能がいい」→相手「いや、絶対いらんやろ」
  • 別々の食べ物を頼んで僕が「どう?それ美味しい?」→相手「いや、あーだこーだ…」

意見言うような状況の時、必ず一言目が「いや」とか「でも」とかで始まります。

最終的な着地点が否定のまま終わる時もあれば、よく聞いたら否定じゃなくて肯定だったパターンもあります。

でも最初は否定言葉から入ります。

基本的にはいちいち指摘してもしょーがないって思っているので言わないんですが、良くも悪くも知人以上の関係(友達)になった時にふと雑談がてら言ったことがありました。

「そういや、いっつも否定から入るよな(笑)ほら、今も」って感じです。

ちなみにこの時、相手「いや、そんなわけないだろ」→僕「ほら!それ!」→相手「は?どれよ(笑)」→僕「そーれ!(笑)」とループに入ってお互い笑いました。

そんくらい仲がいい関係です。

その時は相手「あぁ…いわれてみたらやな…。でもぉ~~」、僕「いや、全然気にしてないよ。それがお前の個性(良さ)でもあるんだし」で丸くおさまりました。

収まっていないのは僕の心でした。

家に帰ってゆっくり落ち着いた時、「僕とんでもないことを指摘しちゃったんじゃないだろうか…」とぐるぐる反省・後悔しています。

友達は今でも交流があるし、僕が見る限りは気にしている素振りはないんですが、僕は失敗したなぁ…と思っています。

僕はこちらに書いたように箸の持ち方を指摘された経験があり、指摘してくださった人との交流がなくなった現在でもずぅぅっと胸に残っています。

言った本人は何気ない一言(指摘)でも、言われた側は思ったより長く…というか今後の人生に影響するくらい引きずることがあります。

友達はそんな素振りを見せないので、結果的には何てことない出来事だったのかもしれませんが、もし僕みたいな気にするタイプだったとしたらあまりに無責任な発言だったなと思います。

僕がその友達の今後の人生を背負うわけでもないのに、「否定から入るよな」と、人格否定のようなことを言ってしまって後悔しています。

小中学校の時、先生が「友達が悪いことしていたら先生に言いなさい。それが本当の友情ってやつだ」とか「誰だこんなことしたのは?素直に手を挙げなさい。あるいは知っている人いたら先生に報告しなさい。それが友達のためでもあるぞ」みたいなことを口酸っぱく言っていましたが、少なくとも僕はそういううつわじゃないみたいです。

その人の今後を背負うわけでもないのに、あんまり無責任に深いこと言うもんじゃないなと思います。

コロナワクチン一回も接種していない

反省すべきことだと思っています。

僕は「コロナは風邪だ!」と主張する思想強めの人とか反ワクの人とかでは全くもってありません。

ただただワクチンを打つための病院に行けないだけです。人見知り・引きこもりなせいです。それだけです。

僕散髪も行けないんですよね。家で切っています。

「家から一歩も出ないならいいんじゃない?」とも思いつつ、でも僕の場合完全に外に出ないわけではなく、たまに自然見に行ったり、ランニングしにいったり、買い物しにいったり、外出は定期的にしています。

一週間一歩も家からでないなんてことはもうザラですが、一か月に最低一回はどっかに出ています。

そもそもニュースを見ないのでコロナがどういったものなのかいまだに分かっていない時代遅れ人間なんですが、多分ワクチン打っていないと自分だけでなく周りに迷惑をかけますよね。うつすとかなんとか。

極力外出したくない…。でも自分が楽しむためのドライブや自然スポット巡り、必要な買い物、歯医者の定期健診には悪びれることなく行っている…。でもワクチンは打たない…。という自分勝手な自己中心的行動に嫌気がさします。

知らず知らず(無症状?)のうちに誰かにうつす可能性があるのに責任は取らない最低人間です。

「こんなん覚えるだけで誰でもできる!」って言っちゃった

僕が通っていた高校は偏差値30台でした。

大学(卒業できずやめたんですけどね)で出会った友達から驚かれたんですが、僕の高校の定期試験(中間とか期末)は数学がナンプレ、地理が47都道府県の穴埋め問題とかでした。

他の教科もテスト用紙に答えが書かれたものを事前に配布され、それを暗記してテストに挑む…というものでした。一言一句問題も答えも変わらないので丸々暗記したら100点です。

そんな感じなので、覚えたら誰でも高得点を取れる状況でした。まぁ覚えることも大多数がしないので平均点は低いですけどね。

友達が数学について僕に質問してきたので、あれこれルールを教えている時、つい「こんなん覚えるだけで誰でもできるから。安心しろ」って言っちゃいました。

そしたらたまたま近くにいて聞いていた同じクラスの女子が「えー、なんかめっちゃ鼻につくんですけどw」って愚痴ぐちってきました。

僕は猛反省です。

正直、「この難易度のナンプレはルールさえ覚えたら誰でもできるだろ…」とは思ったんですが、世の中には僕はできて他の人はできないことなんか山ほどあるし、その逆で僕はできないけど他の人はできることだって山ほどあります。

そんなごくごく当たり前のことすら理解せずに、目の前の現象だけ見てついつい言ってしまった若かりし高校生だった自分を殴りたいです。

高校生でしっかりしている方も沢山いるので「若かったから…」では通用しません。僕の人格が終わっていただけです。

ナンプレのルールは分かっていても、人間社会のルールは分かっていなかったってね。

電車で汗びっしょり

大学一年生でまだ電車通学していた時のことです。

その日は起きるのが遅く、いつもの時間の電車に遅れそうだったので、駅まで走っていきました。

僕が通っていた大学は僕でも入れたってことなので多分Fラン大学です。そういうレベルだと大学遅刻しそうになったら「ならもうええや」でサボる人も多かったです。

そんな中、必死に遅れないよう走っていた自分を客観的に想像しただけでも恥ずかしいです。

一番恥ずかしかったのは、走ったことで何とか…というか駅で数分待つ余裕があったほどのレベルで間に合ったんですが、走ったことで汗びっしょりになった点です。

それはもうびっしょりです。

元々僕汗っかきで風呂に入ったんかってくらいかみからポタポタれるタイプです。

そんな状態でそこそこ人が多い電車に乗ったのでもう自分の中では色々感情爆発しそうでした。

「(俺大丈夫かな…。水を1日に何リットルも飲むから汗っかきなだけで、汗が濃くてくさいとかはないと思うけど、それでもちょっと気になるな…。ってか床に俺の汗垂れてんじゃん…。怒られないかな…。あぁもうっ!大学生にもなってハンカチ持ってきていないのがより恥ずかしい…。しょうがないから服のそででふくしかないけど、もちろんシミになるし、袖にも限界あるし…。ひとまず顔にれてくる汗は吊革つりかわつかんでいる腕の袖でさりげなくばれないようにふいてっと…。あぁくそ、今日遅刻しそうだったから眼鏡メガネにしたのも失敗だったな…。眼鏡のレンズに汗がついてうっとうしい…。コンタクトにすればよかった…。隣のOLっぽいお姉さん気持ち悪がってないかな…。こいつ必死に汗かいているのごまかそうとしてるwばればれだぞwとか思ってないかな…。そんなことよりこんな汗まみれの男が隣で申し訳ないな…。俺よりひどい汗っかきの人が俺の隣にきてくれないかな…。あぁぁ~~もう早く駅ついてよ~~早く学校のすずしい講堂にいきたいよぉ~)」です。

電車に乗っている時間は20分ない程度なんですが、その日は永遠に感じました。

色々考え事するとのループでより汗かいてきて恥ずかしかったです。

多分…ほんと多分ですが、気にしているのはとうの本人の僕くらいで、周りのOLとか大学生は持っているスマホとイヤホンに夢中だったとは思います。それでも僕は恥ずかしかったです。

「僕汗かいてないですよ?」ってごまかそうとさりげない動きで袖を使ってふいていたあたりもより恥ずかしいです。

佐川急便での荷物引き渡し

僕は2025年からソーダストリーム(炭酸水メーカー)を利用しています。

スーパーで炭酸水を買うよりお得、ペットボトルのゴミがでないのが売りです。正直値段に関してはどっこいどっこいな気もしていますが、ゴミがでないのは最高です。

炭酸ガスシリンダーの交換を依頼して、佐川急便さんに届けてもらいました。玄関で新品のガスを受け取って、変わりに空になったガスシリンダーを渡すという流れです。

その際、佐川急便のかっこいい若いお兄さんに「これ荷物預かることになっているので多分何か渡す荷物が…あっそれですね。炭酸ガスってこんな感じになってるんすね。へぇ~すごいですね。あ、多分今渡したお荷物の中に送り返す用の伝票が入っていると思うので開けてもらっていいですか?」って言われました。

僕は「あっ、は、はいっ。えっと、ちょっと待ってくださいね。今開けます…。え、えい。あ、あれあかない…。ん…んん…。あわわ。えええい!!(ビリッ)」であせってちょっと段ボール破ってしまいました。

それを見たお兄さんが「あ、全然ゆっくりで大丈夫ですよ」って優しいお言葉をかけてくれました。それがより拍車をかけました(笑)

別に破りすぎて渡せなくなったとかじゃないんですが、とにかく僕の心の中で猛烈もうれつに恥ずかしかったです。

「あぁ、この人てんぱって焦って段ボール開けようとしてるw。持ってるカッターも全然有効活用できてないし、おもろいなぁ…(笑)」って思われたかもしれない…って思うと恥ずかしくてしょーがないです。

実際はそんなこと思っていないにしても、その事実はどうでもよくてそう思ったかもしれないという思考が僕の中に生まれた時点で、その後事実を知ろうが恥ずかしさには何ら変わりません。

「いや、そんな周りはあんたのこと見てないよ。誰も気にしてないよ」とか言う人いますが、的外れです。

そう思うような性格になっていて、そう思った時点でもう事実は関係ないです。「周りが見ているかもしれない」って思って自分が苦しくなるのが問題なのであって、実際見ているかどうかは一ミリも関係ないです。

幼少期の好きな食べ物があんこ

小学生の時、PTAの集まりがありました。小学校の体育館を借りて親子であれこれレクリエーションをする遊びの一環です。

そのイベントの最初にみんなでになって一人ずつ子供が自己紹介するコーナーがありました。体育館でPTAに参加している親子が集まっているので結構な人数です。何十人レベルで、順番になったらマイクを受け取って話す流れでした。

正直、僕自身はレクリエーションの記憶はあっても自己紹介で何を言ったかは覚えていませんでした。

大分成長した時に母親との雑談で「そういや、あんたあの時好きな食べ物あんこって言ってたのがほんと面白かったねぇ。みんなも大笑いしてたよ。みんな焼き肉とか寿司とかザ・子供だなぁって感じの食べ物言うのに一人だけあんこって。この時からあぁこの子は他の子とは変わった何か自分だけの世界観を持っているんだなぁって思ったよ。やっぱりその通りで4人兄弟の中で一番独創的だった」って言われました。

当時、自分があんこって言ってみんなに大笑い(バカにしているとかじゃなくて良い意味ね)されたという記憶は自分自身が持っていないので、当時は恥ずかしくもなんともなかったです。

大人になった時、母親に言われたことで「母親にはそう思われた」という意識が芽生えて恥ずかしくなってきました。

いや、確かに兄弟の中では僕が一番…いやダントツでねちねち考え込む性格だとは思います。でもそれをいざ言語化されて掘り返されるとちょっとこっぱずかしくなるというか…。

傷ついたとかではなく、軽めの恥ずかしいなと思った出来事でした。

変な正義感があって生きづらい

今パッと思いついたことだけでも以下あります。

  • ゴミ拾い
  • 和式トイレで水を流すレバーに泥がついていても手で押す
  • 周りに誰もいない道路でウインカーをだす
  • 皿洗いや顔洗う時に水をいちいちとめる
  • 消費期限過ぎていてもなるべく食べる
  • 一年に一回あるかないかだけど、電車に乗った時すぐにゆずってしまう
  • 周りはサボっていたゼミ資料作りを一人だけ家で毎週3時間かけて作っていた
  • マックなどのドライブスルーでもいちいち「ありがとうございます!」ってお礼しちゃう
  • 好きなだけご自由にお持ち帰りくださいっていうイベントごとでも一つだけにしてしまう
  • 定期健診の歯医者でちょっと遅刻したらずっと反省してしまう
  • 芝生しばふ育成中だから入らないで」ってコーンが置いてあった公園をみんな気にせず通過していた。でも僕は避けていった
  • 重たいものを運ぶとき、ほんとはもう限界なのに無理しちゃう
  • 駐車場の譲り合いでずっと譲ってしまって中々でれない
  • 友達の祖父の話をずっと聞いていた
  • いちいち返信を返してしまう

共通しているのは「変な正義感がある」です。

ポイントなのが僕の中での正義感なだけで、世間一般からしたら正義感でもなんでもないただのこじれたゆがんだプライドな点です。僕が言いやすいよう正義感って言っているだけで実際は正義感でもなんでもないです。

ゴミ拾い

典型的ですね。

思い出深いのはとある雲海を見れる展望台に行った時のことです。早朝でカメラマンがそこそこいました。

その展望台にはたばこの吸い殻が大量に落ちていて、みんな気にせず三脚を置いて撮影していました。

僕はどうしても一度目に入ると気になってしまい、途中で我慢できなくなって一人「すみません💦」って言いながらしゃがみこんで三脚の隙間から吸い殻拾い始めました。

その時近くにいたおばさんがなんていったと思います?

「うわ…素手で吸い殻触ってる…(引き気味)」です。

そこまで大きな展望台じゃないので最初から最後まで全部聞こえていたんですが、もう後戻りもできないので僕は気にせず(いや、気にしていない素振りしただけで実際はやるんじゃなかった…と心臓バクバク状態)拾いました。

世の中の大多数がゴミをポイ捨てする側、ポイ捨てされているゴミを見ても何も行動しない側でそれが当たり前なのに、僕には変で無駄でしょーもない正義感(って言ってるだけのただのプライド)があります。

別におばさんは悪くないです。

その通りです。誰が吸ったかもわからない吸い殻を素手でいきなり「すみません」って言いながら拾い始める男のほうがおかしいです。

もっと平気でゴミをポイ捨て、あるいは落ちていても気にしない性格になりたかったな…と常々つねづね思います。って言いつつ、変わろうとしない自分にもっと嫌気いやけです。

和式トイレで水を流すレバーに泥がついていても手で押す

普段トイレ事情を友達や家族に話すわけじゃないので大人になるまで気づかなかったんですが、あれ足で押している人がいるようですね。

「公共のトイレは汚いから手で触りたくない」って理由のようです。

実際僕がこれまで利用した学校のトイレだったり、田舎の観光スポットにある虫の死骸しがいだらけのトイレだったりでは、明らかにどろ靴跡くつあとがついていることが何回もありました。

でも僕はちゃんと手で押していました。

そりゃ「うわ、汚いなぁ…。なるべく触らないように人差し指で…って硬いな…。まぁどーせ手洗うしいいか…」って感じでいやいやです。

別に足で押したほうが偉いってことを言いたいわけじゃなくて…なんだろうなぁ…。

「みんなが見ていないから大丈夫っしょ…」みたいな自分に対しての甘えみたいなのが発動しない時が多いんですよね。

こういうことを言うと、「他人のこと思いやれる」とか「聖人っぽい」とか思われるかもしれませんが、一ミリもあっていません。大間違いです。

もうすでにレバーが汚れているなら僕が今手で押したところでその後の人がどうこうなるわけじゃないですか。それなのに律儀りちぎに手で押しちゃうんですよ。無駄な行動です。僕も気にせず足で押せばいいだけの話です。

誰も見ていない田舎の自然スポット(滝とか山とか)にゴミがいっぱい落ちていたらもうどーせ変わらないし滅多に人もこないんだし、自分もポイ捨てすればいいだけの話です。

そういうやってもやらなくても変わらない無駄な行動をバカみたいにやって、そのくせ受け流せるほどのうつわはないから、いつか限界がきて一人勝手に「あぁっ!もう無理!!!」って自爆じばくしがちです。

「いや、お前が受け流せずに一人ため込んでいるだけやん」ってね。

ちなみにこのことを母親に言ったら「ええ!?手で押すん!?きったないからやめなさい!誰が足でやっているかわからんのんだから!あれだったらトイレットペーパーで掴んで押せばいい。公共トイレは素手で触るもんじゃない」って言われました。

トイレットペーパーをレバーを押すためだけに無駄遣いする発想がそもそもなかったです。

こういうところなんだろうな…と思います。

母親は自分が汚れないためならトイレットペーパーを使うのは当たり前であって、それが無駄遣いとは思っていないようです。「いや、自分が必要なんだから使う。これ無駄遣いじゃないでしょ?有効活用しているよ」です。

それが人間の正常な思考だと思います。僕が異常なんだと思います。

周りに誰もいない道路でウインカーをつける

最初に言っておくと、つけないのが偉いなんて一ミリも思っていません。

つけるルールなんだからいかなる状況でもつけるべきです。というかそういうルールなんだからつけたほうがいい・つけないほうがいいの次元の話じゃないです。絶対つけないといけません。

でも現実はどうでしょう。

少なくとも僕がこれまで出会ってきた中だとウィンカーつけない人も結構いました。僕の友達だって父親だってそうです。

いっつもつけていないわけではないです。普段はつけるけど、周りに誰もいない田んぼだけ、山だけの状況の時つけていない時があります。

友達や家族に限った話ではなく、実際車を運転していると、右左折うさせつではなく車線変更はもう街中まちなかでも出していない車がいっぱいいます。

右折レーンに入る時、バイパスや高速道路で追い越し車線に行くとき、あるいは本線に戻る時…です。

僕が助手席にいて「え?今ウィンカーだしてなくね?」って言ったら「誰もおらんしよくね。律儀りちぎすぎやろ」です。

僕からしたらありえないです。僕はショッピングモールの駐車場内でも、家族が所有している山の中にある自分たち家族以外は通らない道路でも必ず100%つけます。

もしかしたら忘れていてつけていない時が一回か二回くらいはあるかもしれませんが、それは僕が認識していません。僕が認識している範囲では100%つけています。

僕にとっての正義(正論)は「いかなる状況でもウィンカーはつけるべき」なのに、友達からしたら「こいつ律儀すぎ。いちいち指摘してきてうっとうしいやつだな~」だと思います。

ウィンカー問題に限らず、人によっての常識・正義・正論って変わるんだなとこのことから分かります。

でも、つけない人の気持ちも分かります。街中でつけないのは今でも全く理解できないんですが、確かに田舎のだ~れもいない場所だとつけたところで意味がないです。

誰もいないんだから誰かへの合図になるわけでもないし、警察がいるわけでもないし。

「もしかしたらいるかもしれない」っていうたらればの話はしていません。実際いない状況だと意味がないって話です。

それでも僕は100%つけます。

別にこれだけで生きにくさに繋がっているとは思いませんが、こういうことの積み重ねは人生に影響しているなぁと思います。こういうところから切り捨てられるようになったらいいのにな…と思います。

冒頭にも言いましたが、ウィンカーをつけないのがいいって話ではないです。

そういう思考になれたらもう少し生きやすくなるのになって話です。

少しでも紛らわすためにやっていること

ネガティブなことに対するナポリタン寿司がやっている対策・リラックス方法みたいなことも書いておこうと思います。

とはいえ僕みたいな性格の方はご自身が一番分かっていると思いますが、根本的な解決方法はありません。

性格なんてそう簡単に変わりません。というか難しくても変わりません。

変わるのは縦軸(考え方のアップデート、物事の見方)のみで横軸の根本的な性格変化は日常生活では無理だと思っています。

交通事故にあってしまい脳が損傷して以降性格が180度変わった…みたいな話は大学時代の心理学講義で聞いたことあるのでそういうパターンならわかりませんけどね。

酒を飲む

もうこれが一番です。

僕みたいな根がネガティブな人間は、そういった現象が起きた時の対処法として寝るしかないと思っているので、寝るためにとにかく気持ちよくなる程度のアルコールを摂取せっしゅします。あとのことは考えません。

飲んで30分もすれば頭がボケーッと気持ちいい感覚になるので、あとは狂ったようにゲームしたり、狂ったようにお菓子食べながら動画見て眠たくなったら寝る…それだけです。

翌日になってまだモヤってたら朝から飲んでもいいくらいです。それでまた次の日に強制移行して繰り返すと自然とネガティブ体験が薄まっていっています。

未成年の時は当然お酒飲めないのでしんどいばかりでしたが、飲める年齢になってからは多少楽になりました。

時間を経過させる

酒を飲む…というより、時間を経過させる…が真理に近いと思います。

結局何もかも時間です。時間が全てです。

個人的には友達や家族に相談、病院に行って話聞いてもらう…なんて意味ないと思っています。

その人たちが責任取ってくれるわけでもそれ以降サポートしてくれるわけでもないですからね。一時的にありきたりな言葉で慰めはしてくれるでしょうけど何回か繰り返すうちに離れていくだけです。

あらかじめ答えが決まっていて相談という形で後押ししてほしいだけ…って時には相談したほうがいいと思います。

そうじゃなくて本記事に書いているように、「ああいう出来事があってずっとフラッシュバックしてしんどい…」みたいな内容は相談しても意味ないと思っています。

当たり前のことです。自分の人生なので自分が一番大切。そんなの当たり前です。分かり切ったことです。

よって、唯一の解決方法は時間を経過させて物理的に記憶薄めさせるのが一番効果的だと2000年生まれの僕はつくづく実感しています。

とにかく無茶なことをしてみる

以下の感じです。実際僕が嫌なことあったらやっていることです。

  • 試しにウイスキー今日で全部飲んでみよう
  • ポテトチップス20袋くらい買って今日で全部食べてみよう
  • いつもエアコンの設定温度は節約意識で〇度だけど、今日はもう思い切ってありえん温度にしてみよう
  • 何日風呂我慢できるか挑戦してみよう
  • ボトルガムいつも1回2粒だけど一気食いしてみよう
  • ハイチュウ一気に12粒食べてみよう
  • 風呂2回わかしてお湯あふれさせてみよう
  • いつも音楽の音量10だけど今日は5倍の50で聞いてみよう。爆音だ!

本記事に書くのはあくまで自分一人で完結することです。自分が苦しいからと言って他者に迷惑をかけるなんてありえないです。

最悪自分一人が後で後悔することばかりです。主にお金です。無駄遣いしたな…ってことばかりです。

僕は基本的に食べる・飲む系が多い気がしています。大体こういうのって途中で限界がきて吐いて中途半端に終わることが多く、それでなんか一気に冷めます。

「何やってんだ僕…。アホらしい」って思考にさせるのが目的です。こうなったらこっちのもんです。

ここまで書いてなんですが、いつもこんな行為しているわけでもないし、それを推奨しているわけでもないです。

あくまで一つ自分がこれをすると気持ちが落ち着く…みたいな武器を持っておくのが大切って話です。

実際そうするかどうか…よりもそれをいざという時に実行できる安心感みたいな気持ちの面がなんだかんだ僕みたいな繊細には大切ですからね。

実際僕が大学一年生の時、小中でいじめにあってしまい高校行けずそのままなんとかパートで生活しているうつ病になってしまった女性と話す機会があったんですが、その方は常に肌身離さず薬を持っていました。

何の薬かまでは分からなかったんですが、多分睡眠薬とかそういうんだったと思います。

理由はやっぱり「安心感」と言っていました。

「いざという時にこれを飲んで楽になりたい。実際そうするかどうかは別として、私はこれがあるから大丈夫、何でもできる。って思いながら今頑張って生きている」って言っていました。

僕含めてそういう方にとっては、そういう一つ自分が少しでも安心できる材料・心のよりどころがあるのが地獄という名のこの世を生き抜くためには必要なことなのかな…と漠然ばくぜんと思っています。

感想

以上、ナポリタン寿司がこれまで生きてきた人生の中で恥ずかしかったこと・失敗したこと・辛いことなどネガティブな経験でした。

多分同じ人間である以上、僕だけでなく同じような経験を誰しも少なからずしてきているんだと思います。

だけど、僕の場合はそれをいつまでたっても乗り越えることができず、ずるずる胸に抱えながら年をとっているんだと思います。

ネガティブなことをポジティブな方向にもっていく…それができずにネガティブをネガティブのまま引きずっている…、そんな自分がネガティブです。

だけど一つ良いこともあります。僕は2020年に多分どん底に落ちて、それ以降病院で薬を処方してもらって飲んでいます。

そのおかげなのか、どん底を味わったおかげなのか、単純に年をとっただけなのか分かりませんが、ここ数年は思考がうまくできなくなっています。

昔は何にせよくよくよネチネチ考えて一人疲れていたのが、今は強制的に思考が停止するような、思考がうまくまとまらないような、そんな感覚になっています。

簡単に言うと、昔よりどうでもいいって思うことが増えてきました。

何か悪いことがあった時、くよくよはするんだけど以前よりかは「まぁでもどうでもいいか。」と思うようになりました。

バカになってきている気がします。昔はもっと考えられていたことが今では考えられなくなりました。

都道府県とかアルファベットとかは昔も今も分からないんですが、そういうんじゃなくて日常生活においてこういう時こうすべき…みたいな道徳的な思考力?が2020年以降圧倒的におとろえてきています。

よく言えば生きるのが楽になった、悪く言えば昔は感受性かんじゅせい豊かで色鮮やかだった世界が今ではつまらない白黒に見えて生きていても面白くなくなったって感じです。

まさか自分がそんな感覚になるなんて思いもしなかったです。もちろんくよくよはするんですよ。ほんと。

ちなみに本記事の建前たてまえは「同じような性格の方が見て少しでもくすってなってくれたらいいな」ですが、本音は自分がただ書いてストレス発散したいだけです。

多分、未来の自分が見たら本記事を公開したこと自体が本記事にのるレベルだと思います。

2025年3月21日日記の記録

Posted by ナポリタン寿司